ブラインドサイト


BBCが最近脳科学関係の記事を取り上げることが多く、私も楽しみにしていて、毎日チェックしている。既に1年前にトンネルビジョンと題して、ブラインドサイトを語っていた。ブラインドサイトについては今日、2017年5月3日にも新しい記事が登場している。

今日の記事では、病気治療のために導入した昏睡状態の中で、運悪く脳出血を起こし、昏睡から覚めた時には視力を失っていた女性を取り上げている。彼女は盲目なのに家事が十分できるし、医師のところのテストでは、障害物をきれいに通り抜けている。それでも彼女は物が見えないと主張する。

1年前の記事のブラインドサイトの患者では、目からの情報が脳には伝わるが、意識の脳に障害があり、像を確認できないと説明していた。でも、無意識脳では処理されているから、目には見えない障害物を避けて通る事が出来る。しかし、この特異な現象から脳の意識、無意識の情報処理の様子が見えて来た。

先ず、我々の生活の基本は無意識に依拠していると理解しなければならない。毎日意識して生活しているようだが、実は膨大な情報が無意下で処理されていて、我々の生活を支えている。無意識は主に我々の動きをコントロールしている。歩く動作を例に取れば、誰も歩幅を測りながら歩いている人はいないし、左右の足を出す順番を考えている人もいない。頭は全く別の事を考えているが、足は確実に歩を進める。

同様に日ごろの雑務も無意識のコントロール下にあるのです。神経症者に雑用を指示すると、ほとんどの人が向こうを向いてやる気を示さない。健康な人なら朝飯前の雑用が出来ないし、やろうとしない。それは彼らの脳では意識が猛威を振るっていて、雑用を命令する無意識の活動が低下しているからです。彼らは無理して立ち上がっても、間もなく意識と無意識の股裂きにあい鬱状態に突入する。

彼らはやるべきをやると言う。我々はやるべきをやっているのであろうか。実はやるべきでない事までやっているのだ。大体、やるべき、あるいはやるべきでないを何処で判断したらよいのだ。本来サッと立ち上がって、何かに手を付けて、後は無意識の赴くままに任せるから雑用の山を処理できるのであって、一々やるべきかどうかを判断していたら、生きるのが煩わしくなる。

これはブラインドサイトの患者が、意識するとぶつかり、意識しないで歩くとうまく障害物を避けて通るのに似ている。雑用は意識しないから見えるのであって、意識すると急に見えなくなる。今までの心理学は意識ばかり説明していて、脳には水面下に巨大な無意識というものがあるのを忘れていた。ブラインドサイトの研究はこの部分を引っ張り出し、脳科学に新なページを書き込んでくれた。

我々は、無意識で動作している時、神経症が治っているとも治ってないとも考えない。これを神経症の外側と斎藤は呼ぶが、この状態を維持して5年、10年経つと、対人恐怖とか神経症とかは他人事に見えてくる。私も、何故自分はそれほどまで女性に話しかける努力をして来たか、何故対人恐怖を治すことを唯一絶対の人生目標にして来たか自分に問うが、答が出ない。敢えて言えば、強迫観念と言う病的なものが自分の脳を乗っ取ってしまっていたのだろう。

我々はまず人間である前に動物であるのを確認する必要がある。動物は生来の脳に埋め込まれた自動プログラムで動いていて、それで地球上に繁栄してきた。動物から進化した人間がこれと違ったプログラムを持つ理由もない。人間も体に備わった自動プログラムで動いているのです。その重要さは、神経症と言う一見関係がない病気が治る過程で分かって来た。

以前一休さんと言う人が、動きの重要さに着目して、毎日掲示板に書きつけていた事があった。しかし、ついに彼は自然な雑用を開始することはなかった。原因は彼のあまりに強い治癒意欲が自然な雑用の発動を邪魔していたからなのです。ふっと力を抜けば誰でも出来るものを、必死に努力をするものだから、一生かけても出来なくなってしまった。

斎藤も似た経験をしている。神経症を抜け出した最初の10年は頻繁にフラッシュバックに襲われた。山登りの途中で濃い霧に包まれるのに似ていて、今まで見えていた神経症回復への道のりが一瞬にして見えなくなる。ああ、これで自分の神経症治癒も蜃気楼で終わったかとがっくりする瞬間です。こんな時は、斎藤でも雑用を神経症を治す手段として開始してしまう。意識で雑用を開始するのだから酷く、間もなく激しい鬱状態に陥り、万事休してしまう。

しかし何かの拍子に、じっと考えている自分に気が付く。神経症だろうが何だろうが関係がない、雑用しなければ生きられないではないかとひょいと立ち上がり、何かを開始してそのまま時間が経つ。これが後から考えてフラッシュバック脱出のきっかけになっているが、そんな経験を何十回もしながら今の安定した状態になったのです。神経症脳の安定には時間がかかり、ほぼ治ったと言えるには10年の歳月が必要であった。

斎藤の後に続く神経症者も同じ経験をするでしょう。神経症者はじっと動かない自分に気が付くべきです。この世の中で誰が動かないで天井見ているだろうか。人におかしいと思われたくなかったら、直ぐ立ち上がるべきだ。立った後何をするかは、素晴らしい無意識脳が指令する。



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