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最近のニュースを読んでいて思うのは、水原一平騒ぎと社会の変化です。50年前であったらギャンブル中毒などモラルの欠如で終わっていたでしょうが、今はこれを病気と捉えて脳が暴走したためと書く。社会は、人間の脳が思っているほど信頼に足る臓器ではないと認めるようになったのです。 ギャンブル中毒とかアル中は、一度これに罹患すると治すのが物凄く難しい。ギャンブル中毒を治すには、ギャンブルを止めれば良いと誰でも考えますがそれが出来ない。脳が一度走り出すと、どう努力をしても止められないのです。この現象、神経症に似てないだろうか。 神経症も一度始まると、何十年もの神経症人生が待っています。神経症に処方する薬に抗不安剤、抗鬱剤がありますが、ほとんど効果がない。認知行動療法が良く出てきますが、これもさっぱりで、大体認知行動療法の類は、神経症者なら誰でも自分流で試しているはずだ。 先日、肩こりや足の痛みでユーチューブを検索していたら、ふくらはぎの重要さを説明する動画があった。ふくらはぎは、その柔軟性から第二の心臓の役割をしているらしい。ふくらはぎが伸縮する事で足に溜まった血液を心臓に戻していると説明していて、なるほどと感心した。 なら脳の場合はどうか。筋肉の動きが第二の脳の役割をしているのではないか。私が30年の対人恐怖、異性恐怖から健康に復帰したのは一つには体を動かす事にあったからだ。トラック運転手と言う職業が体を動かし続けたばかりでなく、家に帰ってからの雑用の処理が凄かった。これが功を奏してか、あれほどの激しい対人恐怖が気が付いてみたら消えていた。 脳にも第二の脳があるらしいのは、最近の脳と腸の関係記事を読んでも分かる。過食症の発症には腸内のバクテリア活動が影響しているし、パーキンソン病の発症にも腸内の細菌が関連している。英語で直観の事をGut Feelingと言い、一瞬のヒントは腸から聞こえてくることを示唆している。実際脳と腸は迷走神経で結ばれていて、二つの組織は常に会話をしているのです。今まで脳が唯一無二の判断の中枢と考えられていたのですが、これを訂正する時が来た。 われわれは筋肉を動かしている限り強迫観念に捕まることはない。逆に動きが止まったら強迫観念の強大な罠に捕まって出られなくなってしまう。強迫観念は観念であるからそれに対してもう一つの観念では対抗できないのです。われわれの脳は強迫観念に乗っ取られているし、強迫観念を生産する暴走脳だからです。 ゆえに唯一ここから脱出するには筋肉を動かす必要があり、しかも当分は動き続けないとならない。これは神経症者に取って相当キツイことです。永久に動き続けないとならないのかと暗たんとなりますが、そんな心配はいらない。 動き始めは落ち込んでも、そこを我慢して動いていると不思議に強迫観念が弱まって来るのです。ある程度強迫観念が弱くなると今度は健康脳が回復し、命令をしなくても自然と体が動くようになります。その頃には強迫観念はほとんど消えていて健康脳が活躍していますから、もう斎藤がとやかく言う必要はないでしょう。 ホームページへ |