脳スイッチ

触ってはいけない事
私が神経症が治って感じるのは、健康な脳では無意識が縦横に活躍していることであった。神経症当時、あれほど考えまくっても出来なかった日常の雑事が、考えなくても出来るのには驚く。生活にリズムがあり、毎日飛び込んでくる仕事に適切に対処出来る。このリズムある楽しい生活を支えている主役が無意識だったのです。神経症者ではこの無意識が殆ど作動していないか、片隅に追いやられています。そのために体は大変重く、やっとの事で動きだしても間もなく強迫観念の前に沈んでしまう。

普通、健康な脳では物事を処理する時に意識と無意識が共同作業していて、互いに補っている。どんな時に意識が前面に立ち、どんな時に無意識が活躍するかは、我々の脳の深部にあるスイッチが担当しているでしょう。このスイッチは自動スイッチであり、誰にもコントロール出来ない。恐らくこの重要な機能は心臓を動かしたり、呼吸を命令する脳と同じ部類に属する。従ってこのスイッチにタッチしてはいけないし、タッチする必要もないのです。所が、この触ってはいけないスイッチを、神経症者は手動で操作しようとして失敗してしまった。やってはいけない操作をやればその反動は激しく、あらゆる動作の前に意識が立ちはだかるようになり、彼等は意識の猛威の前に立ち往生して、動けなくなってしまった。

森田療法はスイッチに働きかけたこと
今から約100年ほど前に、森田と言う神経症患者が森田療法と言う怪しい療法を開始した。当時は心の病は未知の世界で、脳科学も存在しなかった。外国からの情報入手も、今と違ってほとんどなかった時代だから、情報を閉ざされた神経症者はこの療法に飛びついた。

しかしこの療法には、次に述べるような意識操作を患者に要求する、重大な欠陥があった。
 ●あるがまま
 ●計らうな
 ●苦しくても我慢してやる
 ●やるべき事をやる
 ●嫌な事も率先してやる
 ●人に話す時は、ゆっくり分かりやすく話す
 ●フッとやる、スッとやる
 ●間髪を入れずにやる
 ●工夫気配りをする
このように働きかけられた患者は、当然動く前に禁断の意識切り替えスイッチに手を出す事になる。本来「無」の状態、即ち無意識の発動により、動作を開始するのが健康状態であるが、そこに意識が割り込んで来たために、神経症者の脳では情報処理が混乱し、その結果、体は硬直し動作が停止した。

動けないとは恥ずかしいこと
神経症者に動けと言うと、どうしたら動けるかと質問してくるが、これはおかしい。動物は本来、理由を説明しなくても動くように出来ている。心臓をどう動かしたら良いかとか、肺をどう動かしたら良いかは指導できない。
我々は、行動を開始する時一瞬だけ意思を働かせるが、一度動き始めたら体が自動的に動く。こんな時に、やれ工夫しろ、気配りをしろと命令を飛ばすと逆に行動を制限してしまう。

貴方の周りの人に、どうやって動いているのですかと聞いたとしたら、彼等は”ただ動く”と答えるに違いない。健康世界では誰も難しいことは考えていないのです。動く前に掛け声をかけたり、無我がどうのこうのと言い始めたら、健康な人でも動けなくなってしまう。
神経症者と言えども、脳の構造は健康な人と全く変わらないのを忘れてはいけない。神経症を治す手段として、普通の人がやっていない意識操作を日常しているから、その結果はご覧の通りで、重大な事になってしまっている。

心理学論争に耽る
最近15年ぶりに神経症者が集まるインターネット上の掲示板をのぞいて、彼等の書き込みに驚いた。無我だ、無意識だと難しい心理学用語を使って論争をしているではないか。
健康世界では、こんな言葉で語り合うことはまずない。子供が天真爛漫に遊んでいる姿を思い浮かべてもらいたい。彼等には無意識も無我もあったものではない。普通の大人も同じで、仕事と生活の雑務で忙しい。そして、そのように動いている大人を見て我々は安心するのです。

時代錯誤
彼等は水谷啓二だとか、鈴木知準とか、既に歴史の彼方に沈んだ人物を挙げて論議している。しかも、彼らが優秀な東大の卒業で、誰それは、共同通信の論説委員と箔をつけることを忘れない。こんな肩書をつけなければ、我々を納得させられないのか。同じように、神経症を改善した人の例として、その人は慶応大学の医学部を卒業して現在内科医であると説明する。何故、神経症を治した人が、コンビニのアルバイトではいけないのか。何故、神経症を治した人が、高校出ではいけないのか。

私はこの現象を”桂歌丸のグルコンEX現象”と呼ぶ。怪しげなサプリメントも、桂歌丸が効いたと言えば一躍売れる。グルコンに含まれるコンドロイチン硫酸が、腰痛の改善に効果があると宣伝するが、私には全く効果がなかった。
21世紀に入り、今はインターネットとコンピューターの時代で、情報は直接自分のコンピューターに入ってくる。なのに、今から50年も前に死んだ人物を取り上げて、さも偉人のように説明する姿は情けない。脳の病気と言う最先端の科学を必要とする時に、50年前、100年前の人にお伺いをたてる姿は異常なのです。

オードリー・ヘップバーン
アメリカの拒食症のサイトに行くとオードリー・ヘップバーンの写真が飾ってあるらしい。拒食症の人が開設したサイトで、ここでは食事制限を推奨している。痩せは美しい、食べない事は素晴らしいと主張する倒錯したサイトで、アメリカ政府もこのようなサイトを見つけては除去しているが、潰すと直ぐ新しいサイトが出て来て、イタチごっこになっている。恐らくこのホームページに行って、食事をすることは楽しいことだ、大いに食べるべしと書き込んだら袋叩きにあうだろう。
日本の神経症サイトも、やってはいけない森田療法を薦める。神経症とは別名「森田療法病」と呼んでもよく、間違いなく森田療法に集う。ここでも彼らが最も苦手としている、「動け」を命令したり、森田療法を批判したりすると激高して袋叩きにあう。これは彼ら自身、自分の生き方に疑いを持っている証拠で、そうでなければあの激しい怒りは説明できない。

私はこのような神経症者の集まる場所を、神経症窟と呼ぶ。彼らが来る理由は、アヘン患者がアヘン窟でアヘンを吸うように、不安を癒す森田の言葉を求めて集い、片時の安逸を得る。しかし出て行くと間もなく不安がよみがえり、また窟に戻って来る。彼等は、この繰り返しをしながら一生を終わってしまう。

森田療法は廃人への片道切符
最近、私の掲示板に面白い書き込みがあったので、拝借させて頂きます。表がそれで、多くの神経症者はこの道をたどりながら、人生の終点に至る。表現にユーモアがあり、私は読んでいて吹き出してしまった。

 神経症悪化のプロセス   悪化度
1「発症」  0→2
2「だんだん悪くなる」 2→5
3「森田の本や会との出会い」 5→6
4「本や生活発見会での学び」
5「こんなはずじゃ?????」  6→8
(本当のあるがままを求めて) 8→10
6「ついに『救いがないのが救い』の境地へ」 10→? 
(行きつく先は?)

鈴木知準など、はっきり森田療法で80%が軽快治癒すると豪語していた。しかし、彼も今や亡くなり、彼の森田療法医院を引き継ぐものがいない。
私が生活発見会に参加した時は、理事とかいう人が、迷った時は"Go"でいけと デタラメな説明をしていたが、会の終わり間際に、森田の本を買うように強く薦めるではないか。森田を指導する者はしっかり金儲けも考えている。森田療法は最初から脱線していたし、途中も最後も脱線していた。



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