病識の問題

神経症が統合失調症と大きく違う所は、彼らには多少の病識がある所だと思う。それが証拠に、多くの神経症者は自ら進んで精神科を訪れているし、私も鈴木診療所に入院し、一般精神科にも数度訪れている。

でも、何処か彼らの病識はおかしい。何故なら、神経症の苦しみが通常の人生問題の延長と考えている節があるからだ。確かに人生問題のように思えるが、それにしては苦しむ時間が長すぎるし、苦しみが度を越している。
あまりの苦しみで、多くの神経症者は療法行脚が止まらなくなっていて、療法を求めて全国の治療院を渡り歩く。多少なりとも改善すればまだ良いが、時間と共に悪化していき、最後には家から出られなくなる場合もある。

果たして神経症者の苦しみは人生の問題であろうか。
統合失調症の患者が、歯科で発信機付きのプラチナを歯に埋められたと言ったら、これは人生の問題ではなく、妄想の世界だ。
神経症の場合、ごく普通の小心の問題から始まる。私の場合は高校2年生の時に、いきなり女生徒に今までのように話せなくなった。可愛らしい思春期に現れる現象と人は取りたいが、これが原因で私の人生は崩壊してしまったのだから可愛らしいでは済まされない。深刻に取った私は、何と放課後に女生徒に話しかける練習を開始してしまった。

脳の狂いには、誰もが異常と判断できる狂いと、一見、健康との境目が判然としない狂いがあると思う。歯医者のプラチナ騒動は前者であって、私の女生徒への話しかけ努力は後者である。
ある精神科医が、不可解で迷惑な患者の行動を書いていた。一見健康に見える患者が、どうも様子が違うし、その迷惑が本人と家族、病院に及び深刻だ。
脳の科学が進めば、患者の脳の何処に異常があるか発見出来るであろうが、今は被害状況からしか判断しようがない。

実は神経症とは隠れた精神病であり、陰性の精神病であると私は見ている。神経症の問題は人生の問題ではなくて、脳の異常動作なのです。

対人恐怖は幻の恐怖
神経症者の恐怖、不安は幻であると私は言う。
何故なら、あれ程苦しんだ対人恐怖、異性恐怖が、今の私には綺麗さっぱり消えて、その痕跡さえもないからだ。もし対人恐怖、異性恐怖が人生の問題であるなら、今は若気の至りであったと頭を掻く程度だろう。

以前、レディーガガが痛みが酷くて公演を中止したのニュースがあった。診断は線維筋痛症と言う難しい病気で、患者には強烈な痛みが襲うが、現在の医療で検査しても原因が見当たらないと言う。原因は脳内神経細胞のネットワーク異常としていて、要するに痛みは幻なのである。

幻肢痛と言う言葉を聞いたことがあるだろうか。事故とか手術で切断して既にない手、足が痛む症状である。既にない部分が痛むと言うのは、脳内での回路のアップデートが未だなされてないことになる。即ち、脳は幻の痛みを作り出す器官でもあるのを知る。

対人恐怖もその一種で、恐怖は準備、努力により形成されたと私は見ている。何故なら、努力を止めた今から27年前のある晩から潮が引くように消えて行き、今は完全消滅している。現在の心境は、恐怖は克服したではなくて、恐怖に興味を失ってしまったが正しい表現であろう。

もしこれに対して現世的対応をしたらどうなるか。
私の、放課後女生徒に話しかける練習がそれで、この通り最悪になってしまった。

では脳のネットワーク異常をどうやって元に戻すか。
対人恐怖を発症した当時に自分が何をしたかを考えれば簡単です。練習により恐怖を克服できると考えて実行したのがそれなのだから、直ちに練習を停止するのです。

先日、掲示板に「ロンドンに行ってなぜ悪い、結婚してなぜ悪い」と書き込まれていた。これは私が女生徒に話しかける練習をしたのに似ているでしょう。

今すぐ、全ての訓練と努力を停止しないとならない。人がロンドンに行くのは旅行を楽しむためであって、神経症を克服するためではない。
健康は我々の直ぐ横にあるのです。何か特別な努力をすれば問題が解決すると考えるその心が狂っているのです。



ホームページへ