神経症と健康は断絶していること


神経症者はよく、普通の社会でも上がる事もあるし、緊張することもあると言う。だから神経症の緊張は気にする事ではないと言いたいらしいが、果たしてそうであろうか。私は違うと言う。

例えば体温が36度5分から37度までなら平熱としよう。これが37度5分から38度になったら最早平熱ではないが、神経症者の言い分によると、健康な人でも風呂上りは37度2分位まで上がるのであるから、私の現在の体温38度も似たようなものだと言うようなものだ。

実は健康世界の緊張、上がりと対人恐怖のそれは全然別物であり、緊張を起こす脳の活性化部位も違うだろう。形は似ていても完全別種な、いわばイルカとサメの違いみたいなものだ。

健康世界での緊張不安は心の自然な反応であるのに対して、神経症の緊張不安は、神経症脳暴走の産物なのです。この産物を妄想と私は表現するが、脳の異常反応による感覚であるから、そこでは架空の恐怖が発生する。架空の恐怖、痛みは健康のそれより弱いと考えたいが、実際は自然の100倍の強さで襲って来る。
 
しばらく前に、レディーガガが線維筋痛症で苦しんで、ステージをしばらく休むと宣言した事があった。この病気も脳が作る架空の痛みと言われていて、その痛みは半端なものではないらしい。

私の半端でない苦しみは、今から30年以上も前に、よく英会話喫茶に行って外人と話をした時に発生した。
その恐怖、苦痛と言ったら表現できないほどで、あまりに苦しいものだから鬱状態に陥り、隣の席の人が私の異常事態に気付くほどであった。あの頃、若い女性に対する緊張も凄かった。何故あんな凄い恐怖、苦しみが襲ったのだろうか。

恐らく神経症のマッチポンプ効果と表現したら正しいかも知れない。最初に女性に話すのがぎこちなく感じ、これではいけないと改善方法を考え、話しかける練習をしたのがマッチにあたりポンプにあたる。練習は火を消すはずであるが、逆で予期恐怖を生じさせている。予期恐怖は実際の恐怖を10倍、100倍の威力にさせる。この恐怖が女性ばかりでなく、対人一般に及び、最後はグループの中に入って会話をすることさえ出来なくなってしまった。脳の暴走は恐怖にエネルギーを供給し、エネルギーを得た恐怖は巨大な入道雲に成長し、私の生活を根本から破壊した。

その暴走は今は止み、あれほどの苦痛恐怖がきれいさっぱり消えている。この両者、即ち神経症で苦しむ斎藤と、対人恐怖が消えた今の斎藤の間をつなぐものがあるであろうか。 何もないのです。あるのは深い断絶だけだ。

こんな表現はどうであろうか。全身麻酔をかけられる直前と麻酔から覚めて意識を取り戻す瞬間だ。その間をつなぐものは何物もない。ただスイッチが切れて時間が一瞬の内に進んだだけである。それと同じ現象が神経症に起きて、今は別人の斎藤になっている。

そこから得る結論は、神経症とは決して健康心理の延長線上にあるのではなくて、脳の暴走、興奮によって生じた妄想であることであった。必然的に治しはただ単に療法を停止するだけであって、決して解釈に存在する分けではない。



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