現世的努力の停止


私は、神経症脳と健康な脳の違いを何時も考えている。
健康な人も困難にぶつかれば、解決方法を模索するし、努力して解決したいと望む。多くの場合、解決して人生に重大な禍根を残さないし、結果が思わしくなくても究極的な”諦め”と言う手段を保持しているから、人生が停止してしまうという危険は避けられる。

神経症者では、困難な問題にぶつかった時、健康な人と同じ努力を開始するように見えるが基本的に違うように見える。

自分の例を出すと、私が高校生の時にいきなり女性対して異常に緊張するようになった。女性を意識すると会話が出来ない。これはまずい、将来結婚出来ないのではないかと、今までに経験した事がない恐怖と悲観が一気に押し寄せて来た。そこで思案したあげく、放課後教室に残って女生徒に話しかける練習をするという、馬鹿げたことを始めた。

こんな努力は健康な人は決してしない。大体健康脳ではそこまで追い詰められる事がないのが第一の理由です。もう一つは健康な脳では、失敗しても時間が解決するとゆったり構えていて、生活が停止する事がない。
神経症では不安のレベルが異常に高い事と、ひっ迫感が激しすぎるために、治療と言う強迫行為をいきなり開始してしまう。問題を更に難しくしているのは、自分の行いが異常であるとの認識が全然ない事だ。たかが青春の一時期発生した問題と思っていたら、老人ホームに入ってもまだ同じ問題に悩んでいたなんてことはしばしば起きる。

大体神経症の症状と言うものは、健康でない脳が作り上げた仮想の苦しみであるから、解決そのものがない。なのに、その仮想の苦しみの除去を目指して激しい努力をするのだから、エネルギーの消耗は激しい。
健康な脳では、このような無駄な事が起きないように脳にはブレーカーがあり、ちょっとでも危険な兆候があると作動して、脳の暴走を事前に阻止するように出来ている。

悲しいかな神経症脳ではこのブレーカーがないから、脳は暴走に次ぐ暴走で、生活は破綻してしまう。もう一つ問題を難しくしているのは、神経症者自身、自分の脳が暴走している事に気が付かない事だ。

例を自分の経験で申し上げると、私が28歳の頃、神経症で頻繁に仕事を変えるものだから、生活は不安定で、絶えず仕事と将来を心配していた。ある日の事、何時ものように新聞の就職欄を見ていたら、年齢制限があるのに気が付いた。自分は既に28歳で30歳を過ぎると募集は急減する。どうしようの不安に襲われ、就職欄を読みまくる強迫行動が止まらなくなった。
毎日椅子に座りっぱなしで読み、これが一週間は続いた。自分でも少しおかしいと思ったが、所詮自分の脳が命令しているのだから止める事が出来ない。当然新しい仕事を見つける事なく、一週間が過ぎて、目は赤く充血し、視線は虚空を走っていた。

今から考えると、既に私は危険ラインに入っていたのです。直ちに新聞を読むのを
停止しないとならないが、あいにく当時読んでいたのは森田療法で、森田療法には強制停止の項がない。私に取って真に心配すべきは、仕事ではなく新聞の就職欄を見っぱなしになっているその強迫状態にあるのだ。

健康な脳ではこのような暴走は決して起きない。健康な人でも心配はあるが、神経症者のそれとは似て非なもので、強迫状態を呼び込むこともないし、一瞬強迫的になっても間もなく雑用と言う気晴らしが舞い込み、危険を回避できる。

それでは、我々神経症者は脳が暴走したらどうしたら良いであろうか。
私は人間の体は脳を含めて、全て健康を保つように出来ていると考えています。
例え病気になっても、事故でケガをしても我々の体は元に修復するようになっている。

いや、神経症脳が作り出す命令だけは無視出来ないと貴方は言いたいだろう。しかし停止出来なければ生活が成り立たないし、それは生物の進化の原則に反する。実際停止出来るし、出来るのを斎藤自ら示している。
48歳のある晩に、30年間も読み続けた森田療法の本を全て破棄して、雑用を実行するという、人生の大転換が訪れた。

ここで最近、何故斎藤は雑用を言わなくなったのだろうと神経症者はいぶかるに違いない。雑用とは動きであり、動きを開始すれば強迫観念が静まるように誰も考えるし、私もそう考えた。しかしよく考えると、雑用を夢中にやると言うのは、もう一つの脳の暴走行為ではないか。

健康な人は常に雑用をしていて、彼らの体は停止する事ない。では、彼らが意思の力で雑用をやっているかというと、全然違う。彼らが雑用をしているのは無意識の発動によるのであり、頭の中は空っぽで、何か別の事を考えているのです。

それに対して神経症者の雑用は、これをすれば神経症が治るという取引であるから、不自然で、必要以上にやって一日が終わるとぐったりしてしまう。自然な雑用は環境にマッチして、必要以上にはやらない。

雑用は結果なのです。雑用をするから神経症が治るのではなくて、神経症が治るから、自然と雑用が発生するのです。雑用は健康脳の証明であって、雑用が健康を回復する分けではない。
神経症者は掲示板で屁理屈を書いている暇があったら、今日なにをやったか、これから何をするかを書くべきだ。そうすれば神経症が治るではなくて、そう書く事が健康になっている証明だからです。



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