判断中枢に問題


私は最近、神経症を敢えて重大な精神病であると言う。
大体病気とは何かを考えてみると、病気とは症状に苦しみ、症状が生活を困難にするものと定義して間違いない。
簡単な例として、インフルエンザを考えると、インフルエンザは急激に体温の上昇させそれに伴い頭痛、節々の痛み、不眠、食欲不振が襲って来る。大抵は生活が困難になり職場を休むか学校を休む。しかし症状は2,3日で峠を過ぎ、通常1週間位で仕事に復帰できる。これを普通病気と言うが、神経症はどうであろうか。

神経症の苦しみは心に発生し、その苦しみは筆舌に尽くしがたい。期間はインフルエンザが精々1週間なのに対して、神経症では一生になってしまう。これは既に病気以上の病気であるが、神経症者は神経症を病気でないと主張する。

何故、彼らは1週間で解決するインフルエンザが病気で、一生の苦しみをする神経症を病気でないと言うのか。恐らく、脳と言う自分を自分にしている最も大事な組織に問題が生じていると認めたくないのだろう。それに社会的烙印を背負う事になるし、医療もない。

精神病とは判断の中枢に問題が生じている病気である。神経症でも、際限のない強迫的な治療意欲が生じていて、今までこの強迫的治療行為の制圧に成功した人を見たことがない。

拒食症と言う病気があるが、この病気では患者は自分の体形が醜いと感じる妄想が発生する。通常の体形であるのに患者は太っていると判断して果てしもないダイエットをするが、これも精神病であり神経症と似ている。

私の場合、異性の前で魅力的な笑いを作らないといけないという妄想が16歳の時に始まった。異性恐怖の症状の一部で、この妄想が発生すると、自分の笑顔が歪んでいるように思える。健康な人でも注意を集中すれば笑い顔が歪むこともあるであろうが、その考えが取りついてしまうということはない。

神経症では、この笑顔妄想が頭から離れなくなるから、始末に負えない。青春の一過性の出来事と考えたいが、実はこの歪んだ笑顔の妄想が人生を破壊するのだから怖い。
80歳の老人が老人ホームに入っても魅力的笑顔作りに腐心するという笑い話もあり得る。この異常現象を、神経症者は誰にもあり得る人生問題と主張してやまない。

精神病とは自分が正しいと主張する病気と私は言う。
今ままで、神経症者で自分が間違っていると反省する人を見たことがない。健康な人では自分が正しいと主張しない。何故なら、主張しなくても問題は起きてないし、大体生き方に絶対正しいはあり得ないから、まあこの程度でよいとしてあまり取り合わないのだ。

では、何故精神病の患者は自分が正しいと主張するのであろうか。その一つに不安、恐怖が余りにも強い事が挙げられる。人生を木っ端微塵にする恐怖を否定されたら、たまったものではないと感じるからだろう。

また、彼らでは、時間が解決するという最も健康的な対処が出来なくなっている。恐怖の解決という命題に圧倒されて、毎分、毎時、1年、10年と果てしもない努力する。判断の中枢がまさしく狂い始めたのだ。

どうしてこの脳の暴走を止めるか。
先ず自分がやっている行為が狂いであると認める事です。一生をかけて歪んだ笑顔を素直な笑顔に変えるなんて狂いも甚だしい。

神経症とはブレーキが壊れた列車。
ブレーキが壊れた神経症列車を停止させるのは難しいようであるが、出来ない事はない。恐らく、我々の脳は本質的に健康を回復するように出来ているからだろう。

神経症思考が発生したら、有無を言わせず停止させる。
最初は難しいが何回かやっている内に出来るようになる。
大事なのは、出来るだけ立ち上がって雑用を開始する事だ。座って考えていると、ろくな事がない。ただ、雑用を神経症の治す手段にすると、神経症は悪化するのを忘れないで欲しい。



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