反芻思考と
デフォルト・モード・ネットワーク


最近幻覚キノコによる鬱の治療を翻訳していて大変勉強になりました。
キノコ幻覚成分が鬱を治すとはにわかに信じられませんが、この文章が心の病、鬱病、神経症の特徴を的確に表現していたのには驚いた。

神経症のバイブルである森田療法は、神経症者の頭に去来して止まない観念を”生の欲望”と表現していた。この強い欲望が一見われわれ神経症者には生きるための純真な欲望に感じるが、果たしてそうであろうか。これをキノコ記事ではズバリ反芻思考、偽の問題解決と言い切っている。森田の言う生の欲望は、偽の問題解決だったのです。しかも反芻思考と偽の問題解決は、神経症に限らず強迫行為、鬱、薬物依存に共通すると言う。

実際、神経症者を悩まして止まない思考は反芻思考なのです。反芻とは、牛が寝そべって口をもぐもぐしているのが反芻です。一度胃に送り込んだ草をまた口に戻して噛み、より砕かれた形で次の胃に送り込む。牛のこの繰り返し食む姿が、神経症者の執拗な繰り返し思考に似ているから反芻思考と言う。

神経症者では絶えず不安、不吉な将来予測が襲います。この手の不安、不吉な将来予測は、健康な種類とは違うから神経症者には耐えられない。苦し紛れに彼らは仮の安定を求めて計画を案出する。これが偽の問題解決で、森田で言えばあるがままであり、生活の徹底であり、恐怖突入です。それ等はあくまでも仮の安定であり、朝令暮改で直ぐ失敗する。

神経症者を更に苦しめるのは、失敗する度に不安は強化されることです。これに耐えられず、彼らはまた次の方法を案出する。まさに反芻思考で、一度この繰り返しが始まると、大抵の神経症者は出られなくなる。既に心の病であり、脳神経回路は固まり、他の神経細胞との交信が途絶し、脳の柔軟性と敏捷性は失われている。

以前掲示板で、ある人が神経症を治す奇跡を発見したような書き込みがあって、私はまずいなと思った。やはり、次の瞬間、質問が押し寄せてきて、この状況を評して私は動物園と言った。ドアーをバタバタたたき、破れた金網から飛び出て来ると。悲しいかな、これが神経症の実態なのです。

なぜわれわれはこんな悲しいことになってしまったのであろうか。
生物学的欠陥が脳にあるのでしょう。その欠陥とはLSD記事によると、デフォルト・モード・ネットワークにありと言う。デフォルト・モード・ネットワークとは、われわれが白昼夢を見ている時に活性化する脳細胞ネットワークで、心の流浪を起こすネットワークと言っても良い。

健康な脳では心の流浪は何ら有害ではない。むしろ心の一服休憩であり、心のストレッチ体操であり、おかげで忘れていた事を思い出したり、今週末何処へ行こうかと心をワクワクさせる。このデフォルト・モード・ネットワークが神経症では病んでいて、不安、不吉な将来予測が頻繁に襲って来る。これでは神経症者は苦しくて生きられない。デフォルト・モード・ネットワークを不活発化するか、健全にしない限りわれわれは神経症で苦しむのです。

LSD記事ではデフォルト・モード・ネットワークを幻覚キノコの成分で停止させることに成功したと言う。同じく斎藤は、幻覚成分の力を借りずに、デフォルト・モード・ネットワークをオフにする事に成功している。

何時もの不穏な考えが出そうだなと感じた時に、意思でデフォルト・モード・ネットワークのスイッチをオフにする事が出来たのです。神経症の頃は、この不安サイクルが始まっても異常と感じず、むしろ必要な警告であると受け取って積極的に解決策を模索した。

今は24時間襲って来る不安の襲撃から解放され、脳は自律反転してその柔軟性を回復した。今から考えて見ると、偽の問題解決が私の人生を破壊していたのです。一方心の流浪は今もそのままあるが、健康な流浪故に意識に上らないだけです。
偽の問題解決を模索することがなくなった今、私の心の空間は無限に広くなった感があります。



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