仏に逢って仏を殺す

仏とは森田療法であり、神経症の症状を治すであろう貴方が思いついた今日の解決策なのです。やっと見つかった解決策を今すぐ手放すのかと言いたいでしょうが、神経症を治したければそうする以外にない。

神経症とは仏を求めて仏に抱きついてしまう病気なのです。一旦神経症を発症すると仏を求めて何千里、今日は経頭蓋磁気療法を、来週は山中でやっているなんとか療法、次は幻覚キノコ療法と留まることを知らなくなるのです。

何故誰が見ても無駄な努力を30年も止められないのか。理由は彼らの脳が産出する強迫観念にあり、この強迫観念があまりにも強く解決法を今すぐ求めて止まないからなのです。この結果神経症者は異常行動を取り多くは社会に適応できなくなってしまう。だから私は神経症を重大な精神障害と呼ぶ。

禅の小話に次があります。
釈尊は生まれるや否や、片手で天井を指し、今一つの手は地を指して「天上天下、唯我独尊」と叫んだとされている。この点に関して雲門宗の開祖雲門文えんは言う。「釈尊がかく言ったとき、もし自分がそこに居合わせたら、一撃のもとに彼を殺し、その死体を飢えたる犬の顎へねじ込んでやったろうに」と激しくののしっている。
神経症者の多くは天上天下、唯我独尊に魅力を感じてしまう。しかし神経症が治った人たちは、この手の言葉に興味がない。禅では更に激しく一撃のもとに釈尊を殺すと言う。

視線恐怖の人が、人と話すときに視線を45度下に向ければあまり苦しくなく話が出来ると今日閃いたとします。そしたらその閃きを今すぐ否定するのです。鼻の先端が見えて気になってしょうがないと感じて、よしそれなら今日一日、鼻の先端を見ながら生活をしよう。そしたら解決するだろうと閃いたなら、その閃きを今すぐ否定するのです。

神経症解決には、ここまで決意をしなければならないかとため息が出るでしょうが、神経症に生まれたからには、人生の何処かでこれを実行しないとならない。



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