自分が正しいと言う

神経症者と応対していて不愉快になるのは、彼らが正しいと主張することです。正しくないから苦しんでいるのに自分等は正しいと言う。

以前神経症者に面接していたころ、ある人が執拗に本を読めと本を持ってきた。顔を見ると暗くて一目見て神経症と分かる。こんな人がおすすめする本を読めるだろうか。ある時、韓国からEメールで問い合わせが来て、その人も本をうるさく勧めて来た。心を病む者が健康な者に対して本を読めとは何ぞや。

また、雑用の重要さを説いていたころ、ある神経症者が雑用を永平寺で修行する僧の作務に例えて説明していた。たかが雑用をするのに永平寺まで出すようでは今後どうやって生きて行くのだろうか。

何故彼らはこのように自分が正しいと主張するのであろうか。精神病とは「自分が正しいと主張する病気」なりと私は言います。統合失調症の場合、いくら周りがその声は聞こえないと説得しても首を縦に振る人はいないだろう。何故なら実際に彼らには声が聞こえるからだ。

神経症も同じで、赤面恐怖の人にいくら周りが私だって好きな人に会えば赤面しますと慰めても、慰めにもならないのを皆さん経験していると思う。彼らには顔が赤面するのは事実であり、その時に激しい不安を感じるのも事実だからだ。

でも神経症が統合失調症とは違っているのは、その恐怖の発生源が修復可能なことだ。ギリギリ異音が鳴り始めたギアで説明すれば、統合失調症ではギアの歯がこぼれているのに対して、神経症では油が切れた状態に近い。神経症の故障は機械的ハードの故障ではなく、書き換えで元に戻るソフトの問題と言って良いだろう。

自分が正しいと言ってはならない理由
病気を治す基本は自分が病気であると認識することです。糖尿病の人が自分が健康だと言い張って、甘いものをたらふく食べていたら命を縮める。神経症も同じで、どんなに自分の症状が現実に耐えがたいと言っても、己が分析し治す方法まで考案してはならないのです。何故なら、神経症では判断するその脳に問題が生じているからです。

当然、強迫的治療行為もやってはならない。治療行為こそが神経症脳が作り出した妄想の産物であり、しかも底なしだからです。私はよく対人恐怖の患者は老人ホームに入っても対人恐怖が改善したと言い続けると言います。
この執拗さが普通の病気と違う所で、普通の病気では治療努力をしても限度があるのに対して、神経症では限度がない。そのため、神経症者を錯乱状態にまで追い込んでしまう。

治療行為停止を難しくする理由として、あまりにも強迫観念が強過ぎるのが一つ。二つ目は、たとえ決意をしたとしても、決意が新たな治療行為になってしまう事です。丁度犬がしっぽを噛もうとぐるぐる回っている状態に似ている。

でも話を逆にして見たらどうだろう。貴方の周りで誰が毎日治療行為をしているだろうか。誰もしていないでしょう。なら貴方もそれに加わったらどうか。停止とはただ停止するだけで、論争をしてはならないのです。

私は神経症には治っているか治ってないかがあるだけで、途中の改善状態はないと言います。しかも治癒まではわずか1秒で到達すると。何故なら、為すべきは治療行為の停止だけであり、それ以外何もないからだ。



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