解決策が見えた時

神経症とは解決策を発見してしまう病気と言えるかも知れない。
神経症になると、毎日不安を解決する手段の発見の連続になります。解決策発見なら良いかと言うと、実はその反対で、解決策を発見すればするほど症状は悪化し、最後は日常的に鬱状態に陥ります。

鬱とは単に脳の機能の低下かと考えがちですが、実は鬱とは脳の空転であって、脳は猛烈に思考の暴走を繰り返しています。恐らく我々が不安に耐えられないために、脳が自動的に解決策を発見するのでしょう。

解決策模索は薬物依存症の薬物を求める行動に似ていて止めることが出来ません。解決策を発見すると薬物同様に一服の安心を得ます。しかしこの解決は偽の解決ですから馬脚を直ぐ現し、早い時は1時間後にはもう破綻する。

破綻すると不安が戻って来て別の解決策を求めます。神経症の鬱状態とはこの状態で、まさに火の車であり、そのままだと錯乱に陥って精神病院に入院もあり得るでしょう。

残念ながら、日本の神経症者はこの脳暴走の危険性を理解していない。丁度アル中患者が清酒一杯飲んだ後、これからアルコール地獄に落ちて行くのが分からないのと同じです。神経症では多少自分はおかしいと分かりますが、どの程度おかしいか判断できません。それより不安があまりにも強くて正常の判断が最早不可能な状態です。

日本にも世界にも神経症を治した人がほとんどいませんから、多くが神経症克服に奮闘します。そこに便利にも森田療法と言う療法があり、盛んに神経症者にこうすれば治ると指導をしている。しかし森田自身は治ってないから、解決策の提示がどれほど危険であるか分かってない。彼は文章が上手く、神経症者と同じレベルで語りかけて説得力がある。私もその犠牲者の一人で、16歳の時から48歳になるまでざっと30年間、森田療法を読み続けました。

不思議と森田療法の本を読むと短時間だけ神経症は解決します。しかしそれは偽の解決だから直ぐ破綻して、また読む。この繰り返しを引き起こす森田療法は神経症の治療ではなく、神経症者を一生神経症漬けにする麻薬だったのです。

私はまさにこのような森田療法依存を30年間続けて48歳になったある日に、偶然宇佐先生の本を本屋で見つけました。宇佐先生は森田療法では言わば異端で、森田療法をやりながら「神経症を治すためには森田療法をやってはならない」と言う。この衝撃は大きく、私はその日の晩に大変化を遂げました。

一体何が斎藤に革命を起こしたのか。それは今も言ったように解決策を探す行動が神経症の本質だと気が付いたからです。私のそれまでは解決策探しの30年間だった分けです。この禁断の行動を宇佐先生の本を読んだその晩に完全停止した。

そしたら不思議なことに、30年間苦しんだ対人恐怖、異性恐怖を忘れることが多くなり、気が付いたら対人恐怖も異性恐怖もどうでも良くなっていたのです。
神経症が治るとは、症状の克服ではなく、症状を克服する努力を忘れてしまった言う不思議な現象なのです。



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