危険な脳


神経症脳と言うのは、健康な脳ではない。健康な人にはない強迫観念と言うものを産出していて、殆どの場合、これが一生続く。そのため、人が神経症になると人生は神経症一色になってしまうし、脳そのものも柔軟性を失って、神経症的に硬化してしまう。何故こんな現象が起きてしまうのか。私は遺伝子が関連していると思いますが、この解答が出るまであと100年必要でしょう。
当然ながら神経症を治すのは猛烈に難しく、今まで斎藤以前には、治した人は一人もいなかった。何故神経症を治すのがこれほど難しいのだろうか。

神経症治しを難しくしている理由。
 @強迫観念そのものが物凄く強力で、抗することが出来ない事。
強迫観念は脳の構造的欠陥から発生しているため、強い説得力があり、通常の神経症者では太刀打ちできない。強迫観念の強さは、神経症を患った人だけが分かる強さです。

 A強迫観念との対話は楽しいこと
神経症者に取って強迫観念との対話は意外と楽しく、これが問題解決を難しくしている。何なら、彼らが強迫観念と対話すると不安が一瞬安らぎ、一種の慰安の場になっているからです。しかし強迫観念がもたらす精神的破壊はすさまじく、神経症を治す努力を停止しようとすると、激しい不安と情緒の不安定が彼らを襲う。これを神経症の離脱症状と呼ぶとしたら、神経症離脱症状の激しさは、コカインのそれと大して違わない。

 B脳が暴走状態になっている事
神経症脳は、強迫観念との対話を強要します。抵抗しようものなら、脳は暴走を開始して、最早制御できなくなる。一つの事をこんこんと考えつめ、睡眠中以外は四六時中神経症を考え続ける状態になります。

ではどうしたら良いであろうか。
無条件で神経症治療行為を停止するのです。これ以外はないし、これ以外は全て失敗する。猛烈に難しいが、斎藤が出来たのであるから、不可能ではない。もし貴方が出来ないと言い張ると、人生の崩壊が待っています。

ここに可能性あり。
世の中には神経症が根治したと称する人は沢山いますが、斎藤はその人たちとは違うのを読者は認めるでしょう。
斎藤の違いは、決して神経症者と会話をしない事です。何故斎藤は神経症者と会話をしないか。神経症が治ると人が違ってしまうからだ。神経症者の討論を見ていると、幼稚園の幼児の喧嘩のように見える。私には全く興味がないし、それより、青い顔して論議にうつつを抜かす彼らに、心の病気を見るからです。

手を差し伸べない更なる理由
神経症は一種の精神病であり、精神病とは極めて扱いが難しい病気です。体の病気であれば、脳は正常に作動しているから、本人はどう病気を処置したらよいか分かる。しかし判断する脳に問題が生じたら、もはや代わりになる器官はない。だから、斎藤がいくら正しいメッセージを発しても、斎藤が本来意味した文章とは違う意味に翻訳してしまう現象が起きる。

斎藤が神経症を治す時には指導者はいなかった。確かに宇佐先生の本を読んでヒントを得たが、要点は数行の文字に収まっていた。本を繰り返し読まないばかりか、宇佐先生に質問とか面接も考えたことはなかった。

神経症を治す本質は本人の決意一つにかかっているのです。



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