渾身の努力


神経症とは、治すための渾身の努力をする病気と定義したい。
神経症者の神経症を治す決意と努力はそれは凄い。一日24時間、明けても暮れても考え続ける。普通の努力とは違い、脳の深部から発生する強迫観念による努力だから、止まる事を知らない。この結果、神経症の世界では死体累々の凄まじい様相を呈しているのです。

私の人生はのっぺりとした神経症人生であったが、それでも悪くなる時期とそうでない時期があった。悪くなる時期とは、大学の卒業時とか、30歳前後、そして人生第三コーナーに近い45歳の頃であった。

この三つの時期に共通するのが、神経症を治さなければならないと迫る強迫観念の強さだ。大学卒業前に決意が極限に達するのは、このままでは社会に出られないし、出てもろくに仕事も出来ないと思い詰めるからだ。

30歳の頃の悪化は、30歳が人生の区切りであるのが一つ。45歳とはそろそろ実年であり、対人恐怖を終わりにしなければ何のために生まれて来たかと、これまた追い詰める。

神経症の努力と普通の努力との違いは強さばかりではない。私は努力を神経症の内側からと外側からの2方向から見て来ました。神経症の外側では、努力に強迫観念が伴わないのに対して、神経症の内側では努力は強迫観念の塊になっているのが分かる。健康世界では、例え目標が達成できなくても言い訳を用意していますが、神経症にはそれがないため息が詰まる事態であり、生活も行き詰まってしまう。

どんな大切な目標であろうとも、直ぐ達成する事は普通あり得ず、必ず困難に直面するでしょう。そんな時、健康世界では、目標追及を先延ばししたり、半分諦めた顔をして時間稼ぎをしたりして妥協が出来るのが救いです。

神経症の場合、先延ばしは絶対あり得ないし、時間が解決するような悠長な事を言っている余裕はない。目標達成のためには、精神病院に入院する事さえいとわないし、私の場合は家出をし、山奥への逃避をもした。要するに、神経症では手段を選ばないのです。

渾身の力を込めて治す努力をすると、どんなことが起きるか。
大変危険な事態であり、脳に猛烈な力が加わるので錯乱状態にもなり得る。ここに神経症とは重大な精神障害であり、精神病であると宣言する理由があるのです。

では不自然な努力を停止するにはどうしたら良いだろうか。
我々の脳は、神経症脳と言う欠陥脳であると先ず自覚する必要があるでしょう。普通にしていると、我々は何時の間にか神経症になってしまう。そうならないようにするには、ある程度意識して生きる必要がある分けです。
脳の暴走に気づき、敢えてそれを停止させる、これに尽きるでしょう。
どれ程自分の症状が悲劇的であろうとも、24時間ぶっ通しで考え続けるなんて決してやってはいけないのです。

ああ、思考が暴走していると感じたなら、直ぐ立ち上がって思考を停止させよう。最初は難しいが、やっている内にコツが分かるようになります。斎藤が出来たのだから皆さんも出来るし、出来ないと人生は崩壊してしまいます。



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