苦しかった半生


私の人生で最も苦しかったのは私が25歳の頃であった。
あの頃は、大学は出たが対人恐怖と全般的不安が強くて、どの仕事も落ち着いて出来る状態でなく、あらゆる仕事に自信をなくして廃人同様であった。
神経症の特徴として対策を取るのは熱心で、自己診断で対人恐怖は恐怖に対する訓練が足りないためと勝手に解釈した。それならエイヤーと営業職に飛び込めば一気に解決できるとばかりに、営業職を開始したが、仕事開始数日で逃げ出す恥を繰り返した。
こんな経験を数度するともう人生の破局であり、追い込まれて感覚器もおかしくなって来る。毎日がうす暗く霞がかかっているように感じるようになっていた。何をしても上の空で、レストランで食事をした後お金を払うのを忘れて、食い逃げを疑われる始末であった。

あの頃はベトナム戦争さなかで、私の家の近くにも、あの特有の音がするヘリコプターが飛来したが、本来ならベトナム戦争の行く末を案じる自分が、薄暗い社会で虚ろに歩く幽霊のような自分になっていた。

最も苦しかったのはお盆の時期で、夜になると盆踊りの音が聞こえてきたが、自分には遠い別世界の出来事に思えて、社会がどんどん遠のく感じがした。このあまりの混乱と苦しみは、後で記憶の喪失と言う形で現れた。後から考えて、大学を出てから30歳になるまでの記憶がごっそり抜けていて、自分が何をしていたかあまり記憶がない。最近アポロ13と言う映画のDVDを借りてきて見たが、このアポロ13号の月着陸ミッションの失敗と言う重大イベントを思い出せない。今の私なら、この手のニュースは絶対逃すことがないが、あの頃は恐らく夢遊病者のように、当てどもなく歩いていたに違いない。

私がこの苦しい経験を書くのは、私と同じ経験を今日もしている100万人の神経症者が日本にいるからだ。彼等が日本社会に与える損失は、日本のGNPの数%に匹敵する。しかも50歳や60歳ならまだしも、これから人生が花開く20代前半の若者がこの状態であるのだから酷い。社会が最も期待している人材が、その能力をほとんど発揮せずに、薄暗闇の世界に消えて行くのを黙って見過ごすにはいかない。

私も含めて神経症者の多くが、対人恐怖とは努力の不足と考えてその方策を練っているに違いない。私も御多分に漏れず、努力、努力と無駄の連続を30年間して人生を崩壊させてしまった。
今私は、神経症を抜け出して23年経ち、はっきりと健康世界にいると自覚する。今から思うと、私が経験した悪夢の30年間は精神病の30年間であり、私は、もし良い薬があるなら即刻入院するべき患者であったのが分かる。

唯一、自分の努力に関係がなかったのは、私の過ごした神経症の30年間は、日本の経済がそのピークに達した30年間であったことだ。あの頃、仕事につくのは至って簡単で、契約社員の言葉もあまり聞いたことがなかった。今日仕事を辞めても、明日には新しい仕事が見つかった。私は対人恐怖があまりに酷く、ほとんどの仕事に就くことが出来なかったが、最後に行き着いた運転手の仕事で、ついに経済的安定を獲得することに成功した。

時代はバブル直前で、孫請けトラック運転手でも計画を立てて生活すれば、確実に貯金が出来た。まだ、日本政府も赤字体質でなかったので、失業しても10カ月も失業手当がもらえる夢のような時代であった。そんな時に蓄えた貯金が今の私を支えている。

今の私には対人恐怖とか強迫観念とか言うものが全くない。思考判断は明晰で、何をしても失敗するように思えない。全てがツボにはまるから、生活の質が見る間に改善されて、今は健康な人以上の生活をしている。しかし、この神経症を治すと言う誰もなし得なかった金字塔に難癖をつけ、嫌がらせをし、薄暗いインターネットの世界で森田療法に集い、ひそひそ励まし合いをしているのが神経症者なのです。

この人たちは、私の若いころと同様、とても仕事も出来る状態ではない。自分の人生も崩壊させているのに、立ち上がって動こうとしない。自分自身との会話に明け暮れていて、それを妨害する者に食ってかかる。強迫観念を支持するものにはへつらい、強迫観念を否定する者には逆に戦いを開始し始める。

彼等の人生を苦しめるのは自身の脳であり、斎藤ではないのは彼等も分かっている。しかし、これほどまでに彼らを頑固にしているのは、結局彼らが精神病であるからだ。精神病とは、脳と言う判断の中枢がやられてしまった病気である。
彼等は決まって森田療法にしがみつく。何故なら森田自身が神経症の患者であるから、彼の言葉は大変聞こえが良い。あろうことか、彼は強迫観念を向上心と見誤って、神経症者に向上心を実現せよ煽っているのだから始末が悪い。

では、健康な人の向上心と神経症者の向上心では何処に違いがあるであろうか。健康な人にももちろん向上心はあるが、神経症者のようにうるさく迫らない。むしろ日常の雑用に追われていて、向上心を忘れてしまっている位だ。健康な人の生活とはそれほど忙しく、おちおち向上心を考えている暇がない。それに比べて神経症の向上心は妥協をゆるさないから、現実を無視し、その実現のために今自分の前にある責任さえ放棄する。そんな人にはとても重要な仕事は任せられないし、子供がいたら子供はまともに育たないであろう。

ここまで私の文章を読んでも、大方の神経症者は踏ん切りがつかない。よし分かったと言う神経症者もたまにはいるだろうが、大半は、嫌とてもこんなの聞いていられないと拒否する。しかしその両方ともダメなのである。神経症の解決は分かる分からないの問題ではなく、今すぐ、立ち上がって何かをするのです。大人なのだから、やることがないとは言わせない。
動きのない状態で、どんなに考えても所詮は狂いの世界であり、出てくる考えはゴミばかりである。このゴミの山から脱出する唯一の方法は、動きを開始することなのです。

最近、脳の科学を翻訳しながら次第に学んだのは、我々は一見前頭葉だけで考えているようだが、実際は脳全体が参加しているのが分かって来た。従来は運動の中枢と考えられていた小脳の活動が、創造的思考、インスピレーションの源泉とは驚く。我々はじっと考えているから良いアイデアが出るのではなく、思考から離れて、体を動かし、何か別の動きをするから良い考えが出てくるとは素晴らしい。実際、健康な人はそれを経験的に知っている。

健康な人はほとんど立ち止まって考えることはない。皆体を動かして、脳全体を使って物事を処理している。こんな簡単な事が、神経症者には分からない。考えるから困難を乗り越えられるのではなく、考えるから進退窮まってしまうのである。

さあ、貴方ならどうする。
今日も青い顔して天井を見ているようだと、将来の見通しは立たない。



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