精神的空中浮揚

空中浮揚とは、かつて麻原がオウム真理教でやって見せたトリックで、麻原が瞬間空中に止まっているいるような写真を見せていた。ものが空中に浮揚したとすると、浮揚した物体は繋ぎとめる物がないから、浮揚した瞬間から移動を開始する。それは水に浮かぶ物体と同じです。

健康な心も空中浮揚の状態で、常に自由移動している。しかしそれでも一向に構わない。何故なら、その自由に動く状態が最も安全な状態であるからです。
これに対して神経症では、自分の心を動かないように何かに止めて置こうとする。ちょうどそこに森田療法なるものがあり、彼等はこれに心をつなぎ留めて、束の間の安心感を得た。しかし、この安心感は嘘の安心感であり、間もなく不安が戻り、再度森田にお伺いする。これを繰り返しながら大概の神経症者は神経症で人生を終わってしまう。

無為療法では、このアンカーを全部外せと神経症者に命令する。しかし神経症者はがんとして斎藤の命令を聞こうとしない。ある者は、動作を開始する時にフッとする、スッとすると掛け声をかける。他の者はあるがままを復唱する。あるいはヴィパッサナー瞑想とか言うおかしな瞑想を引っ張り出してきて開始したりする者もいる。何故これほどまでに神経症者は心の固定に固執するのであろうか。それは彼等の脳では意識が猛威を振るっていて、強迫状態になっているからです。

無意識
所で、現代の心理学は次第に無意識に注目しています。現代の心理学が注目する無意識とは、フロイト時代の空恐ろしい無意識と違って、黒板を意識とすると、黒板に書き込まれない脳の情報処理と言ってもよろしい。氷山の一角と言う言葉があるように、我々の意識とは水面上に出ている部分で、その下には膨大な無意識が隠れている。しかもその無意識が我々の上質な生活を保証しているのです。

神経症者はこの偉大なる無意識の存在を忘れているか、過小評価していて、一分一秒たりとも意識から離脱することがない。
私は毎日昼はラーメンと決めて、これを自分で作って食べる生活を15年も続けている。ラーメンを煮ると、途中でガステーブルの火加減を調節しないと、湯が鍋からあふれ出る。これを防ぐのに、以前は体をかがめて直接火加減を見たが、ある日に一々かがむのは面倒と、ガステーブル前方に鏡を置くことにした。

今度はかがまなくても鏡を見れば火の様子が直ぐ見える。なのに、長年体にしみ込んだ動作は変更が難しく、鍋から溢れそうになると、体は自動的に前にかがんでしまう。この癖を治すのにかなりの時間がかかった。これは無意識動作のホンの一例で、日常の動作の多くは無意識の命令に従っていると言って良い。おかげで脳が消費するエネルギーは最低レベルで、早く物事が処理でき、楽に生活が出来る。この素晴らしい情報処理が誰にもあるのに神経症者はそれを信用しない。

人間を含めて地上の動物はオートパイロットと言うべき、無意識動作を進化で獲得して来た。だから、そのプログラムを使わないで生きるのは不可能に等しい。なのに敢て意識をフル稼働で生きる彼等は大きな代償を払い、彼等の生活は停止してしまった。
やることと言えば、神経症掲示板に書き込むだけで、難しい心理用語を使って療法談義に熱中している。こんな人に仕事が勤まるであろうか。健康な人に取って療法なんか興味ないし、それよりもっと仕事をして給料を上げてもらいたいのだ。子供であったら外へ出てうんと遊びたいであろう。

治ったの勘違い
私は頻繁に神経症に改善はないと言う。改善とは治す努力をしていれば、次第に症状が改善すると言う意味であるが、そうはならない。このままでは、神経症者の多くが老人ホームに入っても改善したを言い続けるであろう。

最近、長年無為療法の読者が、いきなり家での雑用が出来るようになったと言って現れた。この人は15年位前に掲示板に最初に現れたが、当時から動きの重要性を認識していた。しかし彼の努力とは裏腹に、実際は15年間雑用が出来ていなかった。

神経症者は、時々治ったと勘違いして報告することがある。余りの治療意欲により、幻の治癒を経験してしまうのだ。私も神経症人生も、偽りの治癒の連続であった。恐らくこの人の治りも幻想に終わるであろうと考えていたが、やはりそうなった。私が48歳の時に経験した大変化は、雑用が出来るようになったではなく、今後一切の治す努力を完全停止するであった。その結果として、雑用の量が急激に増えた分けだ。

治りは一瞬、安定に10年以上
神経症は筋肉や臓器と違って、情報処理センターである脳コンピューターの故障である。情報は電気信号で伝わるから、その伝わり方に異常が起きているとすると、異常が起きるのも一瞬であるし、回路の修正も一瞬と言うことになる。変化の速さは稲妻の伝わり方と同じと見て構わない。所が神経症者は、神経症の回復は普通の病気と同じように、日に日に一歩一歩回復すると信じている。

神経症はマグレになった病気でもなければ、人生問題でもない。れっきとした脳の故障であり、その故障の原因は遺伝子にまで遡る。神経症の特徴である過度の不安と、意識の分裂は普通の人には起きてない。もし一般に起きていたら、とても社会はもたない。この重大な障害が一晩で治ってしまうのなら、我々は一体今まで何をしていたのだと言うことになる。

安定には長い道のりが待っているが、日常の雑用が出来るようになると、以前のような地獄の毎日から、健康状態に変化するのは大きい。前は、まともな収入すら期待できなかったが、これからは健康な人以上の収入が期待できる。私は神経症が治ってもう24年になりますが、人生の収支を計算すると、神経症が治ってからのプラスが神経症30年間に失った損を上回って、今や大幅な黒字になっています。



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