|
イラクの過激派組織ISISにより、日本人の湯川さんが殺害されたのニュースが世の中を揺るがせた。その湯川さんが、何故危険地帯に乗り込んで行ったか、CNNが報道していた。
彼は自分からブログで精神的に不安定と言っていて、人生を打開するために、敢てシリアに乗り込んだらしい。自ら軍事会社を設立したが、会社は破産状態で、英語はほとんど駄目だったらしいから、無謀なことをするものだ。 同じことが、今から10年前頃にアメリカがイラクに侵攻した時にも起きた。日本の一青年が侵攻直前にふらっとバクダッドに現れ、間もなくアルカイダ系の民兵につかまり、あえなく首を切断された。彼の行動も不可解で、敢て危険地帯に乗り込んで自分を変えようとした風に感じられた。オウム真理教に入信した人の中にも、対人恐怖を治そうとして入った人もいたようだ。 人間は追い込まれると、苦しさ紛れにつまらない思い付き行動をする。斎藤も一大事になることはなかったが、類似した行為を何度かしている。しかし、間違った目的は決して成就されることはないと理解すべきだ。神経症のうるさい強迫観念を振り切るために、戦争の前線に行って生死の境をさまよえば、一気に神経症が解決すると神経症者は考えたがるが、そんな事は決して起きない。逆に多くの兵士が帰還してからPTSDを発症して仕事を失い、中にはホームレスになるケースも出ている。また、自殺率も高まると言われている。 神経症者は、宗教に入信して真剣な信者になれば、神経症が解決するのではと考えることもある。宗教が人間を幸せにするか否かは永遠の課題ですが、今まで幸せになると証明した研究はない。アメリカに、アーミッシュと呼ばれる、現代文明を否定して伝統生活の中だけに生きる宗教集団があるが、私が得た知識の範囲では、彼らが特別に長生きであるとか、健康であるとかのデーターは発見出来なかった。 創価学会に入信した人たちの顔を見ると驚くほど幸せな顔をしている。でもそれほど幸せであるべきであろうか。幸せも中位が現実的で真実だと思う。それより、彼らの宗教活動に費やす時間が莫大で、その負の影響は見逃せない。 人が宗教に逃れたり、前線に飛び込みたい衝動に駆られるのは、神経症を単なる迷い、小心と考えているためであろう。神経症は純粋に脳の不調であり、構造的問題で起きている病気であるからその行動は間違いであり、脳の科学が進めば、人は医学に道を求めるであろう。 物事の成功には条件があること。 1 社会的に正しいこと。 社会的に正しくない事は一時は成功しても長く続かない。社会に正しい事をすれば、支援する人も現れるし、成功すれば報酬も多い。それと自分は正しいことをしていると言う確信が、粘り強い努力に結びつき成功につながる。 2 思い付きでないこと 物事の成功は多くの場合簡単ではない。簡単であったら誰でも成功しているから、貴方が成功しても既に成功でなくなっている。難しければ準備にも時間がかかるし、金銭的にも敷居は高くなる。情報の収集をしなければならないし、何よりも、自分の頭を鍛えるなければならないから、それには時間がかかる。 私の英語の取得に、20年からの歳月がかかり、パソコンの習得にも10年を必要とした。 3 短期の計画でないこと 神経症者は完治根治を簡単に言ってくれる。神経症の完治根治が明日からでも実現しそうな勢いだが、そんなこと土台無理だ。神経症は人口の1%から2%がなると言われていて、誰でもなるものではない。この困難な病気を、Eメール3回の問い合わせで治ると考えるのが最初から間違っている。私でも安定軌道に乗るまでに10年の歳月がかかった。 良く英会話で、人はTOEICを何点取るのが目標だと言う。恐らくTOEICを3回受けて、目標を達成したら止めると言いたいらしいが、とてもとてもである。大人の頭では、英語を話す訓練を毎日1時間、それを10年やっても、ものになるかどうかと言うほど難しいのです。 FXトレードをする人たちになぞらえるのも良い。FXトレードを投資の一つと考える人がいそうだが、とんでもない。あれはサイコロを振って何が出るか当てるのと同じで、儲けるのも早いが、破産するのも早い。 療法をする間違い 我々は動く時に療法はしていない。ただ動くだけでそれ以上でもそれ以下でもない。我々は動物であるから、動くのに不自由するのがおかしい。神経症者に動けと言うと”それは療法か”と質問をして来る。健康な人の誰が療法しているであろうか。健康な人は、動きたくてうずうずしていて、言われなくて動きだすのです。神経症者とは、トイレに行きたくなれば、何の苦もなくトイレに行くし、腹が減れば普通の人以上に先に食べ始めるのに、動けと言うともう動けない。 世のため人のため 神経症者の中に、世のため人のために努力をすれば、神経症が治るのではないかと考える人がいる。健康な人で、世のため人のために努力をしている人はいるであろうか。いないこともないが、そんなこそばゆいものの言い方は、恥ずかしくて言えない。この不景気な折、自分が浮き上がるだけで精一杯のはずだ。自分が浮上してこそ、人を救えるのであって、自分の面倒も見られない人間が、世のため人のためを考えるなんて、何を言っているかと言いたい。 ホームページへ |