妄想


神経症の妄想とは、健康な人から見ると非現実的で何をそんなに苦しんでいるかおよそ見当がつかない代物です。

私の妄想は”彼女を絶対作る”という妄想であった。一見思春期に誰でも考えそうですが、16歳の高校2年の頃からその妄想が私に取り付いて離れなくなった。ある困り果てた日に、小さな本屋の棚に森田療法の小冊子見つけた。これが私の神経症人生の始まりで、以来、森田療法の本を読みつつ30年の底なしの神経症地獄に入って行った。

妄想に取り付かれた斎藤は、何と放課後に女生徒に話しかける訓練を開始したのだから恥ずかしい。それまでは女性を見ても女性に強くなる練習をするなんて考えたこともなかったのに一体どうしたことだろう。どうもその頃、私の脳にスイッチが入ったらしい。それまでの自分はごく普通の少年で、少年らしい夢で膨らんでいただろうから、その変化はすさまじかった。
健康な人なら間違ってもこんな練習をしないし、万が一やったとしても数ヶ月で止めるであろう。所が神経症脳は、30年でも50年でも生きている限りする。あっと気がついたら既に48歳で、一人寂しくアパート暮らしをしていた。

その当時の仕事は肉体的にきついトラック運転手であった。運転手の職を得るまでは3ヵ月毎に仕事を変えて、収入は極めて不安定であった。運転手の職はほとんど運転席で一日を過ごせるため、対人恐怖の私でも続ける事ができ収入面で安定した。あの頃は未だ日本が景気が良い頃で、孫受け運転手でもきちんと生活すると預金が出来た。

やっと生活は安定したが、神経症30年の人生に与えた衝撃は激しく、慢性の鬱状態に苦しんでいた。そんな折に池袋の本屋の4階の心理コーナーで、何か普段と違う森田療法の本を見つけた。ぱっと閃光が発したように感じ、すぐその場で本を買い込み一晩必死に読んだ。その晩が人生記念すべき晩になったのが分かるのに、さらに10年ほどかかったが、とにかく私の生き様がその晩を境に変わった。この本こそ宇佐先生が書かれた”とらわれからの解脱”で今でも大切に保存している。

私は、辛うじて人間廃業一歩手前で狂気から脱出したが、日本人口の1%はいると言われる神経症者のほとんどが、今日も怪しいホームページを読み歩るき狂いが止まらない。ある時は山中の何とかと言う訓練所行くと言い、次はアメリカの認知行動療法を試してみると言い、治療と言う名の強迫行為は死ぬまで続く。

何故こんな事になってしまうのであろうか。それは脳と言う最も重要な判断をする器官が狂ってしまったためだ。一度この器官に作動不良が起きると、それを修正する器官はもはやない。そのため、脳が、”適職を探せ、友達を増やせ、彼女を作れ”と命令を出すと、それを阻止することは難しい。

これは統合失調症の幻聴に似てないであろうか。統合失調症の患者が幻聴に疑いをもち、平常心を維持したなんて話は聞いたことがない。おそらく唯一幻聴から逃れる手段は服薬をすることであろう。
ある私の友人で統合失調症をわずらった人が「狂いの世界からの開放は一瞬であったと」言った。まさに脳の異常信号が停止したその一瞬が健康世界への復帰であったわけです。
統合失調症の幻聴は、誰が考えても正常でないからそれを支持することはないが、神経症の妄想は一見まともな向上心に見えるから厄介だ。そのため、多くの神経症者は向上心達成に突き進む
私はこのホームページを始めた約20年も前から、神経症を重大な精神障害と扱ったほうが良いと主張している。精神障害として扱わないと、患者も家族も疲弊困憊してしまうからだ。

脳科学に目を移すと、インターネットが始まった頃は、プロザックが華々しく日本社会に入ってきた時で、すべての心の障害にSSRIと呼ばれる抗鬱剤を投与することが流行った。
あの頃の研究発表はセロトニン関連の発表が多かったが、最近はセロトニンが登場することが大変少なくなった。むしろ原点に帰って脳の基本構造に迫る研究、扁桃体のより精密な研究、エピジェネティックスと呼ばれる新しい遺伝学の研究等が多い。

研究は細分化されていて神経症の基本に迫る研究はまだないから、未だ神経症を総合して説明する人はいない。アメリカ国立精神衛生研究所のホームページを見ても、神経症の原因は分からないとしている。退歩した印象を受けるが、科学が進歩したからこそ、余計疑問が出てきて説明が困難になったのだろう。

この不毛の荒野の中で斎藤だけが唯一健康世界に生還した。戻ってみれば神経症者の狂いの酷さには目を覆う。とてもまともに相談をする対象でないとして、私は最近一切質問に応じない。

例えば、ある神経症者が斎藤の英語の話を聞いて、「斎藤先生もある種の強迫観念で英語を始め、結局それが幸して英語をものにしたのですね」と聞いたとする。しかし、その質問こそが狂いであり、答えたところで神経症脳に吸い込まれて、別の質問になって返ってくるだけだから返事をしない。

健康な人は質問をする時間を惜しんで夕ご飯の準備をし、風呂を沸かし、Eメールの処理をする。また祭日には墓参りを予定したり、旅行の計画を立てたりと目白押しで、身心ともに止まることがない。

健康な脳は動であり、「無」であり、おおらかなのです。我々の脳は実に素晴らしくできていると思う。小細工をしなくても脳自身が勝手に物事を処理してくれる。これだから忙しいはずの政治家や大企業のトップが、笑顔を絶やさないで重要な仕事をしているのです。

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