治す努力の危険性


神経症は酷くなると精神病院に入ることがあるほど危険な病気で、私が知っている範囲でも数人います。
彼等が入院する原因になったのは症状の苦しさと言うより、治そうとする努力が余りに強くて、錯乱状態を引き起こしたためではないかと推測します。治す努力が余りに強いと、努力が恐怖を強化し、強化された恐怖が更に努力を要求すると言う心の股裂き状態になり、最後は錯乱状態を引き起こすからです。

大体神経症はごく普通の質問で開始する。
以前神経症掲示板にある人からテレビの見方が分からなくなったと書き込みがあった。私がすぐ感じたのはこの人やってはならない努力をしているなであった。通常われわれは何処に意識を向けるかには手を付けない。何故なら、脳の深部にある意識の中枢がする仕事で、そこに意識を介入させると危険だからです。

所がその人は苦しみのあまり解決方法を森田療法に聞いたらしい。森田療法は会話に注目しろ、顔を見ろ、雰囲気を感じろといい加減なことを言ったのだろう。残念ながらこの手のアドバイスは神経症を悪化させることがあっても改善することはない。テレビを見るとは歩くこと、呼吸をすることと同じくらい基本動作で、余計な事をしてはならないのです。そんな事をするものだから見えるものが見えなくなる。

こんなおかしなことになった原因は何処にあるのか。それは神経症不安脳にあります。神経症不安脳が、意識と無意識の共同作業を妨害したと見る。

人間が動作をする時、脳では意識と無意識が共同作業をしています。故に疲れることなく、込み入った作業でも素早く処理出来るわけです。もし疑うなら意識だけで単純動作をしたらよい。急に動作がぎこちなくなるでしょう。無意識が活発に活動しているからこそ、考えが別方向を向いていても複雑な動作もやすやすと処理できる。

所が、ある日テレビが見えないと感じて不安になり、どう解決しようかと考え始めたらどうなるか。無意識と意識の共同作業がにわかに崩れて、見えているものが見えなくなってしまうのです。

私の異性恐怖が始まった時もそれであった。持ち前の不安を発生しやすい私に、ある日、自分は将来結婚できないのではないかの不安がよぎった。すると今まで自然にできていた女性との会話が突然出来なくなってしまった。笑うと顔が歪み、話は途切れ途切れになり、女性も私を見て当惑しているように見える。この時以来、女性との自然な会話が成立しなくなってしまった。

このように考えると、神経症とは意識と無意識の共同作業が崩壊した病気と言ってよい。更に神経症の回復を難しくしているのは異常な治しの努力だ。脳にも体と同じく病気を治す力がありますが、それにも限度があって余り強い力が長期に渡って働くと脳が正常に作動しなくなるのです。患者は鬱状態になり、決断がつかなくなり自分が自分でないような異様な世界を経験します。

無為療法でも同じような間違いが散見される。雑用に飛びついて失敗した人たちがそれで、彼らは動けば治るとばかり猛然と雑用に飛びついた。その結果、見えなくなったテレビと同じで、今まで出来ていた単純な雑用も出来なくなってしまったのです。

本来雑用は自然にやるから出来るもので、自然に動くものを意図的にしようとすると脳には不自然な力が加わり、脳はその不自然な意図に疑問で対抗します。すると、心は動け、いや動くなのまた裂き状態に至り、動きに急ブレーキがかかり、突然停止してしまう。

森田療法で厳格な訓練を受けた患者も同じ経験をした。動きは自然にするものなのに訓練までして動こうとするから、脳本来のバランスが崩れて、今頃は彼らの多くが単純な動作もできないほどの苦しい生活を強いられていると思う。

ではもう一度自然な動きを取り戻すにはどうしたらよいか。
それは神経症を治すと言う不自然な努力を止める事なのです。テレビが見えないなら、テレビを見ようとする努力を停止する。異性恐怖なら異性の前での会話練習など直ちに停止する。

神経症治しの原点とは、もう一度健康生活の基本に戻ることなのです。



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