何故質問に答えないのか

何故質問に答えないのか、それは神経症は質問病だからです。神経症では脳からは絶えず質問が出ていて、患者は答えを求めて強迫状態になっています。不潔恐怖の人が幾ら手を洗っても問題解決しないように、神経症でも幾ら解答を得ても問題は解決しないのです。

それどころか、解答を得る度に次第に恐怖は強化され最後は生活を飲み込んでしまうほどになります。解答を得るとは、結果的に偽の解決を得たことになるわけで、アメリカではこれを心の反芻思考と呼んでいます。この現象は神経症ばかりでなく広く心の病に共通するらしい。

私は16歳の時に神経症を発病していますが、それ以前には反芻思考はありませんでした。大体神経症とか対人恐怖の意味が分からなかったから当然です。何故、神経症者は反芻思考を開始してしまうのだろうか。それは猛烈な不安が襲うからでしょう。その不安は健康なそれとは別物で、神経症を体験した者でないと分からない凄まじいものです。健康な不安とは動物に必要な感覚であって、健康な人では脅威が不安になっても不安が脅威になることはあり得ません。

神経症者の不安は己の存在基盤を揺るがす種類で、これに耐えられる神経症者はいないはずです。それ故、どこからか不安を解決する解答を探してくるわけです。この動作は自動であり待ったなしです。しかし強引に探し出した解答であるから解決するわけはなく、直ぐまた次の解決を求めて彷徨する。これを反芻思考と呼び、反芻思考は次第にその頻度と強度を増し、その内に心の針が振り切れてしまうのです。

大変危険な状態であり、直ちに停止しなければなりませんが、これが猛烈に難しくて時々精神病院に入院する人がいるほどです。しかし精神病院は精神安定剤を処方するだけで解決してくれない。ここまで書けばもう何を言いたいか分かるでしょう。それは即時に解を求める行動を停止するのです。

ここで、神経症を引き起こす原因は恐怖なのか、それとも治療行為なのかを考えると、私が16歳の時に経験した不安は、それまで経験したことのないものでこの度を越した不安が神経症発症の原因と考えます。

先日、最新の統合失調症の研究を読んで学んだのは、統合失調症の発症には遺伝子が絡んでいると言うことです。この遺伝子は、神経細胞間で信号のやり取りをするシナプスの機能を破壊するらしい。しかもこの遺伝子が活発化するのは思春期であると言います。多くの統合失調症は思春期に発病しますから事実に符合します。

神経症も統合失調症と同じく思春期に脳に変化が現れるのではないかと私は考える。神経症の遺伝子があるとして、この遺伝子の活動が思春期に活発化するならば私の経験した不安を説明できます。どう対処するか考え始めてしまう現象は二次的であり、神経症を起こす本質とは考え難い。

結論すると、神経症では治療行為をする限り、神経症の解決はないと私の30年の経験から学びました。神経症の唯一の救いは、このマンモス化した恐怖も、解答を求める思考癖を止めると次第にその威力が減衰して行く事でした。

さあ、ここからは貴方の番で、本当に治るか証拠を見せろ、証明しろと言い始めたらもう助からない。神経症を治すとは無条件で闘いを停止することであって、取引は最悪なのです。



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