何故仕事、勉強か


神経症者と話していると必ず仕事を言い、勉強をどうするかと聞く。
真面目で最もらしく聞こえるが、果たして健康な人はそんなに仕事と勉強を考えているだろうか。私は今、健康世界にいますが仕事、勉強など考えたことない。それでいて両方とも十分出来ている。何故、神経症者は出来もしない仕事、勉強を始終言うのであろうか。

説明するには、まず健康な脳の活動状態を示すと良いだろう。
健康な脳では仕事、勉強、遊び、怠けの仕切りがないのです。どれもが同時進行していて、互いに干渉しない。仕事をしているようで遊びを考えているし、遊びの最中に仕事を考える事もある。心は自由であり、意識をどの方向に向けるということはない。
意識の方向を決めるのは無意識で、恐らく脳の何処かにその方向を決める中枢があるのであろう。ここは進化で獲得した脳で、最も重要な部分であるから、弄ってはいけないのです。

以前、「テレビを見ていても何を見ているか分からなくなった。どうしたら普通にテレビが見られるか」と質問して来た人がいたが、これが余計な努力なのです。自然にしておけばそのままテレビが見られたものを、どうしたら見られるかと改めて問いただしたものだから、無意識の命令系統に混乱が生じてしまっている。
意識を何処へ向けるかは無意識脳がやる仕事であって、意識が干渉してはならないのです。やってはならない努力をすれば、脳の動作に無理が生じて簡単なテレビさえ見えなくなってしまう。

無意識とは大変便利な装置で、これがあるから動物は皆楽しく生きているのです。意識とは哺乳類の頂点に立つ動物だけに存在しているに違いない。爬虫類、両生類ではないと思う。だから動物は基本的に無意識で動いていると考えて間違いない。

無意識の第一の任務は安全の確認です。
無意識とはレーダーのようなもので、我々の身の安全を保つために絶えず頭の上でグルグル回っている。そのおかげで、何か不自然な音、挙動を感知すると、我々はにわかにその方向に神経を集中出来る。

このような便利な装置があるのに、何故、神経症者は一度それを無効にして、敢えて意識を介入させたのか。理由は準備し努力をした所にあると思う。

私の人生を振り返って準備を開始したのは、対人恐怖を発症した16歳の時で、それ以前はやった事がなかった。16歳以前は健康で快活な少年で、対人恐怖も神経症も私の辞書にはなかった。対人恐怖を発症する以前は、何か不安を感じてもそれに対して準備したり、恐怖を軽減する努力をしてなかった。治療努力と言う、やってはいけない禁断のスイッチをこの時押してしまったわけです。

さあ、一度このスイッチを押すとスイッチから手を離すのが難しい。
スイッチを入れるから不安は高まり、不安が高まるからまたスイッチを入れる。薬物依存症と同じで、廃人への道を一直線だ。スイッチを放せばいいのであるが、これが極めて難しい。

でも、今すぐスイッチから手を放さなければ、貴方の一生は神経症で終わりになってしまう。私はこの通り、スイッチから手を放し、以来30年間大変楽な生活をしている。
皆さんも出来ない事はないし、しないと人生は破綻する。



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