ネットワーク異常


レディー・ガガと線維筋痛症
最近ニューズウィークの記事で、レディー・ガガが患っている線維筋痛症と言う稀な病気が、統合失調症の幻聴に似ているを読んで、何か神経症に共通するものを感じた。 線維筋痛症では、患者は痛みを感じるがそれは物理的に引き起こされた痛みではなく、脳内のネットワーク異常により起こされていると言う。

痛みとは関係がない刺激が、脳のネットワークに混乱を生じさせて、患者に幻の痛みを感じさせているわけだ。

私が30年間苦しんだ対人恐怖、異性恐怖がこれに大変似ている。対人恐怖を発症した16歳以前と、神経症が治った48歳以後では、対人恐怖、異性恐怖は微塵もなく、一体あの恐怖な何であったのかの疑問が、今も毎日湧いて来る。

線維筋痛症の患者の架空の痛みのように、対人恐怖、異性恐怖も脳のネットワーク異常ではなかったのか。もしそうだとしたら、どのような原因でネットワーク異常を起こしてしまったのだろうか。

線維筋痛症の痛みは専門家に言わせれば、統合失調症の幻聴を聞くのに似ていると言う。客観的には存在しない声を、統合失調症の患者は実際に聞く。 線維筋痛症の患者も、どんなに検査しても存在しない痛みを、実際にあると感じ苦痛を訴える。

対人恐怖、異性恐怖でも、現実には存在しない恐怖を本人は強烈に感じる。それも毎分毎時、10年、30年、50年と、非常に長期に渡って持続する。存在しない恐怖、不安があるように感じるとは一体何か。

16歳から発病
私の対人恐怖の始まりは、その開始直前に前触れのようなものがあった。16歳の高校2年の頃、何か全般的に不安のレベルが高まり、何事に対しても不安を強く感じるようになっていた。運悪く、あの頃、私は肺結核で1年間療養生活を余儀なくされた。毎日、大人に囲まれた生活になり、生活は激変した。

病室には毎日に若い女の子が物売りに来る。この女性に対して病室の大人は気楽に話しかけ、笑いが部屋に広がる。それを見て何故自分が加われないのか、何故自分も気の利いた話を女性に出来ないのかと詰問した。

しかし、今から考えてこれが私の対人恐怖の始まりであったのだ。今まで味わったことのない恐怖で、以来、毎日どうやったらあの売り子の女性に話せるかを考え始めた。こんな事は16歳になるまでは考えもしなかったことで、どうも、脳の何処かでスイッチが入ったようだ。

その後30年間続いた
今までのような快活な少年から、毎日対人恐怖を考える病人になってしまっていたのだ。この病室の経験が、そのままその後30年続くわけで、48歳のある晩まで地獄の生活を余儀なくされる。

一度この戦いが始まると、幻であるはずの対人恐怖は、実際の恐怖として毎日君臨する。以来、私の人生の最大目標は、対人恐怖を如何に克服するかに絞られていて、それ以外の目標を考える気にもならなかった。努力は異常なレベルに上昇し、何と高校の時、授業が終わってからクラスの女性徒に話す訓練を開始した。

明らかに私の脳は狂い始めたわけだ。対人恐怖を治すためにインチキな療法に莫大なお金を払ったし、断食道場、催眠教室を試し、森田療法には入院2回をしたが、返って悪くなって退院した。それでも森田療法から離れる事が出来ず、48歳のある晩まで森田療法の本は読みまくった。

この異常な精神の集中と努力が、脳のネットワークを強化させ、対人恐怖の恐怖を動かぬものにしたのは間違いない。努力を継続すれば恐怖は固定化し、固定化した恐怖が強い努力を要求すると言う、悪循環が始まった。

英会話と対人恐怖
あの当時から英会話が好きであった私は、英会話喫茶のテーブルに座る時が、対人恐怖の引き金をひく時だった。多くの対人恐怖の患者と同じく、十分に準備し、如何にパニックを防ぐかの戦略を考えて行くが、一旦テーブルに座ると準備した戦略が全て作動しない。

皆、和気あいあいでやっているのに、自分はその中で一人ポツンと外に外れているように思える。人は自分に話しかけるが、不安とパニックで聞こえないし、反応も出来ない。恐らく人は私に何かの異常を発見しているに違いない。余りに恐怖が激しくなるものだから、30分もするともう会話所ではなくなっていた。帰りの電車は反省で鬱状態であり、お決まりの地獄の帰宅であった。

幻の対人恐怖
この恐怖、パニック、鬱状態が、30年後の今は全く起きてないのだ。あの経験は一体何であったのか。幻であったとすると対人恐怖は、レディー・ガガが経験した幻の痛みと同じものなのか。彼女は痛みのため、ステージにも立てないが、その痛みは自分の脳が作り出した架空のものであるとは。私の人生を崩壊させた対人恐怖の恐怖が架空のものであったとは。

しかし、この架空の恐怖が実際の恐怖として我々に迫って来て、余りにも強烈であるから、大概の神経症者は対人恐怖との闘いで一生が終わってしまう。

架空の恐怖が人生を破壊するほど強烈に成長する原因は、神経症者の妥協の精神の欠如だ。健康な人なら、ある程度努力をしてダメなら諦めてしまうが、神経症脳には”諦める”と言う言葉が存在しない。彼らは底なしの努力をし、その底なしの努力が脳のネットワーク異常を更に強化させる。神経症者はのっぴきならない状態になってしまうのが分かっていながら、この努力を停止できない。

退却が出来ない神経症者
神経症者は退却出来ない。彼らに治療の放棄を求めると激怒する。もう30年、40年努力をして来て、誰が見ても無理なのは明白なのに、治療の放棄は決して考えない。彼らに取っては、治療と言う命題は絶対であり、その意味では既に精神病の域に入っているのだろう。

良い薬があって、頑固な決意を和らげる事が出来れば、彼らに方向転換が可能かも知れないが、現在はそのような薬はない。だから薬なしで療法を停止しないければならないが、これが猛烈に難しい。丁度、ヘビースモーカーの禁煙に似ていて、最後の一服を拒否出来ない。彼らは森田療法に行き、完治根治の甘言を聞き、その場限りの安心に耽る。この難しさは、神経症をやった事がない人には理解出来ない。

本当に療法の放棄に至るには、真に追い込まれる経験をしないと難しいのかも知れない。あるいは生死を分けるような危険な場面まで追い込まれる必要があるかもしれないが、そんなものお勧めできないから、結局各人が最後に自分の決意するしかない。

あれほど求めてやまない完治根治のご馳走が、ご馳走を放棄した瞬間に自分の手元にあるのである。治って見ると、ご馳走に見えた対人恐怖、異性恐怖の治癒はご馳走でもなんでもなく、自分の脳のネットワーク異常が作り上げた、架空の恐怖だったのだ。

架空の恐怖であれば、治った時に感激がない。それが真の恐怖であるならそれなりの感激はあるだろうが、ススキのざわめきをお化けの勘違いするような、あるいは水鳥の飛び立ちが敵の切迫と勘違いするようなもので、とても感激に値しない。あれほど夢見た若い女性の前での自信に満ちた会話なんて、あほらしくて、一顧だにしないのです。

幾らでもやる事があるではないか
そんな暇があるなら幾らでもやる事があるではないか。今はインターネットがあり、コンピューターがあるから、たとえ自分の家にいても、活躍できる。つい1週間前にニューヨークダウが暴落した。世界中が茫然として、株投資をしている人は少なくても10%の財産を失った。世界中では、すさまじいお金が消えてなくなったわけで、対人恐怖、異性恐怖なんて考えている場合じゃないのです。



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