残り火がくすぶる


以前、無為療法を開始した時、ある人の家にお邪魔してその人の言葉が今も忘れません。彼の心の状態は「残り火がくすぶっている」状態だと言った。今改めてこの言葉の意味を吟味すると、これは神経症のままであり、神経症の火は消火されてないどころか、まさに大きく発火する寸前の状態であると言う事です。

もう一つ有名な言葉に倉田百三の言葉がある。彼も神経症で苦しんでいたのであろう。森田の所に入院してその退院の時の言葉が面白い。「治らずに治った」。これは実際には「治らずに治らなかった」ということです。

それを言ったら森田の前で失礼になるし、自分にも治ったと言い聞かせたかったのだろう。残り火はくすぶっているどころか発火寸前であるが、体を動かすことを習ったので治った事にしようという感じが出ている。

では神経症が治るとはどういうことか。神経症が治るとはもちろん残り火はない状態で、大体残り火どころか灰もない。灰も残り火もなかったら自分は何処にいるのか。そういう事とは関係のない空間にいます。

そこでは何かの処理に忙しい。不思議と脳が健康を回復すると何かをしているのです。動物と言うのは何かをやると決定したからやっているのではなくて、決定と言う意思操作なくして既に動いている。

人間と言えども爬虫類から進化している。爬虫類をみればごらんのように無意識に動いています。爬虫類の脳から出ている無意識の命令に従って動いているわけで、人間も基本的には同じです。目、耳、皮膚、鼻から入った感覚刺激が脳深部にある爬虫類脳に送られ、そこから動きの指令を出している。だから動くのに意思決定が必要ないわけです。

これだから日常の生活が楽であり楽しいのです。一々動く前に意思決定をしていたら息苦しくて生活できない。精々あれが食べたくなったと思うだけで、後は考えなくてもいつものスーパーに行って買い物をしている。
これが健康世界であって、治らずに治ったとは大違いでしょう。残り火はくすぶってないし、この自然で健康な感覚を神経症者に説明するのは難しい。



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