論文


私は、このホームページを開始して以来、定期的に神経症者から論文をもらっていて、そのやたら長い論文を読まされるのに閉口している。

この論文を書く根拠は何かと考えるのですが、彼らの妄想状態に関係していると思う。彼らは一日中心理分析やら不安をどう解決するかの方法を考え続けている。時にきらっと光るような結論に達することがあり、そんな時に斎藤に自分の理論が正しいと主張して論文を送りつけてくるのですが、これは砂漠で見た蜃気楼見たいなもので、翌日には雲散霧消するものです。私は精神病院の院長であり、入院患者の論文などとても読めるわけなく、直ぐゴミ箱行きとなる。

この現象は洋の東西を問わなく、先日はマイクと名乗る青年から膨大な英語のEメールをもらった。私は日本人であるからそんな膨大な論文をよこしても読みきれないのに、送りつけるところに神経症者のあせり、混乱が見える。

大体健康な人、物事の本質を理解している人はあまり長たらしい理論を振り回さない。政治家のインタビューを聞いていても、能力のある政治家、洞察力のある政治家は数行の表現で分かりやすく問題を指摘する。健康な人も子供と一緒で、グタグタ分からないことを言わないで体を動かして何かをしたい。

心理分析なるものは、脳科学が始まる以前の似非科学であり、もっともらしいことを言いながら権威を装う人間が過去に素人をだましてきた実績があるのです。その典型例がフロイトの精神分析であり、1995年のウィンドウズ95以前の時代には世界に大きな影響力を及ぼしていたが、インターネットの登場とともに一挙に排除された。最近の科学では心理分析などやらないで、もっぱら動物実験、人をグループ分けした心理実験、fMRI等の高度の機器を使った脳の検査で研究している。

健康世界は「無」でありゼロであり「動」なのです。論文を書いている暇があるなら、トットと日常の雑務を処理している。健康な人の後姿は誠に頼もしく、これだから社会は発展するのだと誰でも納得する。

もう一つ神経症者の書き付ける内容で不愉快なのは、何かを達成したの内容です。結婚した、子供をもうけた、会社であるポストについたと書く。しかしこの人たちは心を病む人たちで、そんなことを言っている場合ではない。心を病むことほど苦しいことはないと思う。たとえ結婚しても、会社で出世しても強迫観念の嵐はやまないから地獄の毎日だ。彼らの本心は、結婚や職場よりも一刻も早く健康な心を回復したいだろう。

健康世界ではあまり達成を言わない。私は対人恐怖で異性恐怖ですが、若いきれいな女性をみても最近は魅力的な会話をしようなんて考えたこともない。きれいな女性が意外と雰囲気が悪いこともあるし、大体、対人恐怖なんて言葉の意味も分からないほど、最近は神経症に縁遠くなってしまった。それよりも、今後の人生をどう楽しんでやろうかとか、その裏づけの金をどう工面するかを考える方が忙しい。

健康な人たちは、実は日常の業務に埋没していて、あまり将来を考えている時間がないのです。それと我々はこの毎日の雑務の処理が、上質な将来につながっていると感じている。人生とはプロセスの連続であり、達成は通過点でしかない。この一つ一つのプロセスの処理の優劣で人生が決まってしまう。

もう一つ付け加えると、必ずしも出世しなくても人生はいくらでも楽しめる。分不相応の地位につくより、下っ端で自分の能力に応じて働いていたほうが、よほど気楽で幸せということもある。


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