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私は鈴木知準と言う大変元気の良い森田療法の先生の病院に、2回入院して2回とも失敗した落第神経症患者です。
大変な希望を持って入院したが、入院3日もすると指導する内容が神経症を治す方向ではなくて、強迫観念を煽る方向であるのに気がつき、先生の目を逃れるようにして過ごしたわけで、治るわけがなかった。 今まで鈴木には強い疑いを持っていましたが、果たして鈴木が本当に神経症を治していたかどうか、退院後40年を経過した今になるまで分からなかった。 所が最近、やはり鈴木の所に入院した別の患者から”鈴木は作業量と神経症の治りは一致する”ような指導をしていたと聞いてひらめいたわけです。 作業量と神経症の治りは一致しないどころか逆比例する。 多くの神経症者が努力すれば治ると考えて、今日も努力をしていることを考えればすぐわかるでしょう。神経症の治りは一瞬であり、1秒で脱出できる。 神経症とは意識の混乱であり、意識の正常化は、病原菌に侵された体の回復とはまったく違うプロセスをたどります。病原菌を駆逐して体力を元に戻すには1週間とか1ヶ月かかりますが、意識の正常化は1秒という一瞬なのです。なぜなら神経症とは脳の神経回路の問題であり、神経回路は電気信号で形成されているからです。 例えば、朝起きてトイレに行くときに、強迫観念と闘争しながらトイレに行く人はいないでしょう。どんな神経症者でも、トイレに行って用を足して帰るまでは健康世界に住んでいる。 神経症の治りとはこの健康世界滞在時間がグーンと伸びて、しかも安定的に滞在しているだけです。このトイレの用足しの最中、症状が消えて喜びに浸っているなんて言う人はいないでしょう。 これが健康世界であるのに、鈴木を含めて神経症者の全員が健康世界を誤解していた。健康とは努力の集積ではなくて、努力をしない一瞬に訪れ、喜びも感激もない。だから作業量が多ければ多いほど神経症が治るは間違いであり、これを指導していた鈴木はいんちき療法をしていたわけです。 鈴木の考えとは、神経症山の頂上を目指して一歩一歩登っている一般の神経症者に一致する。神経症者の多くは、神経症の治りとはその歩いた距離に比例すると信じている。そうではなく、登山をする努力を停止した瞬間に山頂に立っているのです。この極めて単純で明快な解答を言った人は斎藤をおいて今までいなかった。 もう一つ言うと、神経症の治った世界では誰もばたばた動かない。我々の周りの健康な人を見ても分かるように、血相を変えて動き回っている人は一人もいない。皆、静かに確実に笑顔をたたえながら作業をしている。 私も緩慢であるが確実に雑務を処理し、決して止まることはない。動くことに喜びを感じ、どんな頭脳作業をしていても自分が停止しているようには感じない。頭脳作業をしているようで流しに立っているし、流しに立っているようで頭脳作業をしている。 いわばすべてが同時進行であり、マルチタスクであり、我々の脳は遊びも仕事も区別しない。どちらが良い悪いではなくて、互いに補完しあい、生き生きと生きているのです。 ホームページへ |