正気と狂気


神経症とは、正気と狂気が入り混じった病気と言えます。
一旦人が神経症になると、誰でも必死に物事を考え始める。そして、正しいと信じる事を実践するが、ことごとく失敗して生活は困難を極める。この失敗の原因が狂気だと気が付く人がいるだろうか。いるなら、インターネットの世界で元気な発言をしている人がもっといてよいはずであるが、実際は見たことがない。

じゃあ、神経症者は何時も狂気の世界にいるかと言うとそうでもない。症状と関連がない場合は、わりと正常の判断をしていて、病気を病んでいるよう見えない。普通の仕事が続けられ、まあまあの成績を残している人も多い。しかし、多くは狂気に足元をすくわれ、社会の底に沈んでしまう。
聞くところによると、神経症者の平均給与は、健康な人の半分ではないかと言われている。事実私も神経症の時は、最低時給でも敢えて引き受けるほど、精神的に追い込まれていた。

神経症の混乱の原因は、正気と狂気の違いが見分けられないからでしょう。私の場合は、フラッシュバックに入る時にその違いが分かる。フラッシュバックに入ると、にわかに思考が混乱し物事の判断がつかなくなる。精神的に息苦しくなり、将来を悲観的に見始める。蟻地獄と言って良く、必死に脱出を模索するが模索すればするほど段々解決が困難になります。

自分自身が無為療法の指導者であるのに、気が付いたら雑用を必死にやっていたなんて事がしばしば起こった。自分のホームページの最初に、神経症とは治療行為の暴走と表現しているのにこのありさまだ。
ああまずいと気づき、神経症治療思考の完全停止を宣言して実行する時が正気の開始です。でも当分、脳は不安定な状態であるから、うっかりすると治療行為を開始してしまう。しかし、繰り返し停止させていると、脳は次第に安定感を増すようになります。

次に重要なのは動きだ。何か手近の簡単な雑務を開始すべきで、じっとしていては良くない。動物とは動く物と書くのだから、やはり動くべきです。
実際、周りを見ればじっと考え続けている人はいないではないか。

強迫観念の停止が成功するようになると、あれ、自分は今まで狂いの世界にいたなと感じるようになる。フラッシュバックの時に比べて、何か時間の進みが早く、疲れを感じない。ははあ、神経症の外側とはこれだなと気が付く。
神経症の外側とは神経症者が望む、症状を克服した夢の実現とは違う。単に時間が早く進むだけと言って良いと思う。

人がこの世界に入ると、神経症者のように演説しない。時間が早く進むから、無駄な論争をしている暇がないのです。生きるのが楽しい時に、自分が正しいと主張するだろうか。人が健康を回復すると、口を閉じて活発に活動をします。



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