手帳を整理していて


私、自称ミニマリストでして、身の回りの要らないものをどんどん処理するのが好きです。そこでインターネット上のあるミニマリストの忠告に従い、重要書類と思っても、実は必要のない書類をどんどん捨て始めた。
出て来たのが古い手帳で、過去50年分を慎重に読みながらふと気が付いたのは、自分の人生の軌跡が判然としないことです。

神経症に一旦なると日常が恐怖に乗っ取られ、生活が浮足立ってしまうのが原因だろう。当然、いくら当時の手帳を読んでも分からない。特に酷かったのが25歳から40歳までの15年間であった。
私の神経症は、異性恐怖と対人恐怖でありふれたものであるから、もっと困難なタイプを含む日本全体の神経症者が被る損害は莫大なものに違いない。

その私の混乱も40歳を超えるあたりから少しづつ変化し始めた。以前はホワイトカラーの仕事に拘り、挑戦しては辞めて挑戦しては辞めてを繰り返していた。最後に出来るのは肉体労働以外になくなり、トラック運転手を開始したのが結果的に良かったらしい。以来、強迫観念との対話時間がが少なくなり、肉体労働で過ごす事が多くなった。こうして、極度の混乱を回避するようになったのです。

神経症の強迫観念とは、統合失調症の幻聴に匹敵する深刻な問題で、これをそのまま放置しておくと、確実に生活は破壊される。かと言って治す医学もない。そんな時に、宇佐先生の著書を本屋で見つけたのが人生の大転換となった。読んだ瞬間に何かピカッと頭に閃くものがあり、今まで森田療法だけが神経症を治す療法と信じていたのが間違いと直観したわけです。即ち森田療法が神経症を更に悪化させていた。

以来生き方に変化が生じて、体を動かす事に重点を置くようになった。しかしこの生き方が出来る人は意外と少ない。私の所に今でも問い合わせが来ますが、大半が心理分析で、その心理分析をする脳が問題の根源になっているのに気が付かない。丁度、裁判官と泥棒の二役をやっているようなもので、これでは無理なのです。

神経症からの脱出とは、今、興奮している神経症脳にはしばらく休んでもらって、代わりに筋肉に登場してもらう事なのです。

それでは、自分は考えないロボットになるみたいでアホくさいと思うでしょうが心配はいらない。われわれの脳は、体は動いていてもちゃんと作動しているのです。むしろ体が動いているからこそ、インスピレーションも湧いてくるし、忘れていた事も思い出す。気が付くと生活が整っていて人にも適切な対応をしている。

良いことばかりで、これをやらない手はないと思うが読者はどう感じるだろうか。



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