とにかく動け


神経症は酷くなると精神病院に入ることがあるほど危険な病気で、私が知っている範囲でも数人います。彼等が入院する原因になったのは症状の苦しさと言うより、治そうとする努力が余りに強くて、錯乱状態を引き起こしたためではないかと推測します。治す努力が余りに強いと、努力が恐怖を強化し、強化した恐怖が更に努力を要求すると言う心の股裂き状態になり、最後は錯乱状態を引き起こすからです。

でも神経症者の誰が好きでこれをやっているだろうか。強迫観念に追い込まれて、引くも地獄進むも地獄の状態で、どうしようもない状態です。これには生物学的理由があり、われわれ神経症者の脳には生まれつき問題があった。私の場合赤子のころからその傾向があったらしく、母親が私を医者に連れて行ったら医者はこの子は神経質であると言ったらしい。

小学校に入学する前のある日に母親は私を予防注射に連れて行こうとした。でも私はどうしても医者に行くことを拒否して母親を困らせた記憶がある。当時から医者が怖くて、結局最後は母親に説得されて注射を受けたが、あれが私の最初の神経症を予想させる出来事であった。
未だ小学校に入学する前、三輪車で遊んでいると何か恐ろしい考えが心に引っかかり、それが消えず、将来こんな事が起きたら困るなあと子供心に心配したものだ。

問題は16歳の頃結核で入院した時で、入院している最中に最初の対人恐怖の症状を経験した。物売りの若い女性が病院の大部屋に毎朝売りに来たが、この女性に話さなければならないと言う強迫観念が生じてしまった。しばらくは明けても暮れても考え続け、途方に暮れたのを覚えている。以後は一瀉千里で30年間の神経症人生が待っていた。
この苦しみを人に話すと誰でも経験しますよと慰めてくれるが、普通の人に起きたら社会は持たない。将来脳科学が進んだらこの症状は精神病の範疇に入れられると思う。

ではこの強迫的生活を止めるにはどうしたら良いだろうか。このままだとわれわれの生活は極端に拘束されて終わる。健康な生活を可能にするには強迫観念のエネルギーを弱める事が大事で、それには動く事なのです。

大概の神経症者は動きが強迫観念を弱めることを知っている。でもそれで成功した人が少ないのは、強迫脳は動きを嫌うからです。私も神経症を発症した直後しばしば動きを試してみたが長く続かなかった。何故なら不自然だからで、私が不自然に動いていると母親からお前は「しーしー動いている」とよく注意されたものです。職場でも女性たちが私の動くさまを不思議に見ていた。いずれにせよ、本人も周りも神経症者の無理に動く姿を受け入れることができない。

でもここで動きを止めてしまうともう神経症を治す可能性はないから、覚悟して動かないとならない。周りからの奇異なまなざしを避けたいのなら、自分の家でやればよい。

次に問題なのは己の強迫脳だ。この強迫脳は動くことを極端に嫌います。強迫観念とは脳が生産する異常シグナルを聞けと迫る。強迫脳はありとあらゆる疑問を出して動きを阻止しようとします。大概の神経症者はこれには勝てず強迫脳に飲み込まれてしまう。

しかし失敗しながらも繰り返し強迫観念に抵抗して動き続けていると、ある日強迫観念が弱くなっているのに気が付きます。強迫観念とは全てを飲み込む津波であるからこれは奇跡だ。強迫観念が弱くなれば後は簡単で、体がどうすればよいか教えてくれます。

神経症を治すとは強迫観念の威力を削ぐ、それだけです。



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