わずかな可能性


神経症を治すのは本当に難しい。完治根治を強調する森田療法が過去100年も頑張って来たのに、誰も治った形跡がないのを見れば一目で分かる。

何故それほど神経症を治すのが難しいのか。
先ず、彼らが自分の主張が正しいと言い張って誤りを認める可能性がない事だ。例えば拒食症のサイトがあるとして、ここに出入りしている人で、自分等の食事癖が間違っていて、これを正す必要があるという人はいないだろう。同じく、対人恐怖に悩んでいる人が、その今までして来た治す努力が対人恐怖の原因であると説明しても受け入れる人はまずいない。

数年前に2チャンネルで神経症関連のスレッドを探していて、肛門臭を討議している場所を発見した。森田療法では、放屁恐怖症とか体臭恐怖症と呼ばれる症状です。彼等は毎日、大真面目で肛門臭を討議している。何とバカなと思うが、彼等は真剣だ。
何処からか探してきた、大学教授が書いたという肛門臭の原因説を張り付けたりしている。健康なわれわれから見ると異常であるが、彼等は聞く耳を持たない。恐らく自身の脳から異常信号が出っぱなしになっているのだろう。

悲しいかな、殆どの神経症者はこの状態で一生を終わってしまうが、でもほんの少しだけ治る可能性はある。それは統合失調症と神経症の違いを見ると分かりやすい。両者とも、元をただせば生物学的原因で起きているのは間違いないが、神経症の場合、よりソフトの欠陥、即ちプログラムの書き込み間違いの可能性がある事だ。

統合失調症では、症状が進むと妄想の世界からの脱出は薬物の力を借りないと難しいらしいが、神経症では薬物を使わなくても異常世界の多少の自覚がある。だから、神経症者のかなりの数の人が、自ら率先して精神病院に訪れている。

もし自分の思考癖に問題があると気が付いたなら、その心の癖を途中で方向転換しないとならないが、これは言うが易しく行うが難しい。もし容易に実行出来るなら、20年やっている無為療法が沢山の患者を救っているはずであるが、実際はそうなっていない。

何故これほど難しいか。
原因は判断の中枢である脳が一つだけだからです。ここが一旦異常信号を出し始めると、これを正す脳は最早存在しない。言って見れば、アル中の患者が、一度茶碗半分の日本酒を飲んだら最後、ぐでんぐでんになるまで飲み続ける行為に似ている。
でもそのまま飲んでいたら死んでしまうのであるから、彼らも何処かで止める。神経症も同じで、強迫観念に駆られるまま治療行為を続けていると、錯乱状態になり、生活が崩壊してしまう。

この何処かで停止する動作が神経症では可能なのです。ブレーキは壊れているが、全部燃えて消失している分けではない。何処かで治療行為を停止してその効果を確認し、また強迫観念に駆られて始めても、再度ブレーキをかけるのです。
このように正しい努力していると、脳が本来持っている自然治癒力が発動されて、健康脳を回復することを斎藤が証明している。



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