やはり考えないこと

私が無為療法を始めたころ、動けば神経症が治ると考えていた節があった。実際雑用が楽しく、動けば心が自由になり、これこそが神経症を治す本質と思っていたわけです。
しかし、しばしばフラッシュバックが襲ってきて、時としてそれが2か月も続くことがあった。そんな時は、雑用をやれば解決するとばかり必死に雑用をしたのですが、やれどもやれでも治るどころか、どんどん出口が見えなくなった。

ある日、ふと気が付くとひたすら考えている自分に気が付き、これはまずいとすっと立ち上がって雑用を開始した瞬間が、今から思い出すとフラッシュバックからの解放の時でもあった。

神経症とはおそらく生物学的背景があって発症しているのだろう。だから斎藤でも、いつの間にか神経症を治す思考を繰り返している時があります。私は幸運にも30年で神経症のなべ底人生を終わらせていますが、このような経験をする人はほとんどいないようだ。
そこで是非皆さんにも同じ経験をしてもらいたいと考えて、ここに重要な要点を2,3記します。

1 神経症脳が興奮している時、努力をしても成功は望めないこと
多くの神経症者では、不安で追い詰められているときに神経症を治そうとする。この条件下ではいくら努力をしても無理で、まずは神経症脳の興奮を冷やす必要があるのです。

それには自分を不安の引き金を引く環境から身を引くことが大事で、不安に正面から対峙してはならない。それと自分に時間を与えること。どんなに酷い不安の発作が襲っても、1時間もすれば不安のレベルは先ほどの半分くらいに低下しているはずだ。

また、激しく落ち込んだ日の晩は、必死に考えてはいけない。早めに寝床について寝てしまうのです。睡眠には肉体的疲労を回復する効果があるばかりでなく、脳のオーバーヒートを緊急停止させ、健康な脳を回復させる力があるからです。

2 意思の力がものをいうこと
どんなに重症の神経症の患者であっても、不安には波があり不安のレベルが低い時もある。

私の場合なら、朝起きてからお昼頃までは比較的冷静を保っていることが多い。あるいは、アルコールを飲んだ後の30分くらいは興奮が収まっている。このような不安のレベルが下がった時が、無為療法の本質を確認する絶好のチャンスで、そんな時思考の停止を呼びかけたらどうだろうか。

神経症では意思が問題を起こしていると言われるが、結局のところ、最後は意思なのです。それが事実であるのは、反対を考えればわかりやすい。心を込めて24時間考えまくる。さらに一週間、一か月と。そんなことをしたらもう錯乱状態になり、精神病院に駆け込むことになる。

私は宇佐先生の本を読むまでは、神経症治療行為に何の疑いを持たなかった。むしろ努力が足りない、もっと神経症を治す努力をすべきと考えていた。しかし本を読んだ後は、治療行為が神経症の本質で、これをやめない限り神経症は続くと結論した。もしあの晩に治療行為をやめなかったら、そのまま惨めな老人で終わっていたでしょう。

3 雑用を神経症を治す手段にしてはならない
これがかなり重要で、神経症者の多くが間違う。
以前、森田療法の中でもっとも厳格な療法を施す病院があった。ここでは動きを中心に患者を指導していたが、今、その療法を経験した人でインターネット上で華々しい成果を発表している姿を見たことない。数千人は経験しているのにこれはおかしい。

この病院に行かなくても、神経症を経験した人であればだれも、動けば治ると一時は考えたでしょう。必死に動けば短時間だけ神経症を忘れるときがある。しかしそれで今まで治した人を見たことがない。
動きに突進しては失敗し、また突進するを繰り返していると、不安はだんだん高まり最後は動けなくなってしまう。雑用を神経症を治す手段にしてはならないのです。

ただ、健康を回復した後では話は逆で、何も考えなくても体が自然に動く。大体健康な人間、動物はじっとしていられないのです。言われなくても日常の雑務をせっせと片付け、顔は穏やかになり、閃きがどんどん湧く。その結果、家庭では頼りにされる人になり、会社でも重要な一員になることは間違いない。



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