山高ければ谷深し


”山高ければ谷深し”は株式市場の言葉であるが、神経症にもぴったり当てはまる。神経症でも山(対策の成功)が高ければ高い程、その後に来る谷としての不安は強烈だ。何処からか探してきた不安に対する対策を実施すると不思議に効果があるが、間もなくその効果も幻と分かって強烈な失望に変わる。

強烈な失望は強迫観念を惹起し、強迫観念は強い対策を求め、対策を探しに出かける。不思議と対策が見つかり、実行して失敗する。

神経症とはこの無駄な繰り返しが永遠に続く精神病なのです。ぐるぐる回りが続けば続くほど心の振幅が激しくなり、心の振幅が大きければ、それに比例して生活は困難になる。それに比べて健康な心は平であり、上にも下にも動かない。

神経症はゲーム依存症、ギャンブル依存症と似ている所がある。
ギャンブル依存症では、自分の生活が容易ならざると自覚しているが、ギャンブルが止まらない。神経症も、対策を練る生活を今まで30年もやって来て、全て無駄であったと知りながら、模索が止まらない。対策依存症になった神経症者は、人生の大半を神経症治療と対策で終わってしまう。

神経症を治すコツとは、この最初の山を低くすればよいのだ。山を低くするとは、治す手段の模索を停止すると同じ意味で、手段を発見しなければ、最初から山は存在しない。治ったと言う高揚感がなければ、次に訪れる失望もなく、従ってムードスウィングが減衰する。ムードスウィングが減衰すれば、その時点で神経症は消滅している。

斎藤は、対策を立てないと決意した、今から26年前のある日の翌日から谷が消滅していた。山だ谷だと言っているだけでは病人であるから、健康の証明として、雑用を開始した。雑用をすれば治るではなくて、ムードスウィングが消えたから、自然と体が動くようになったのだ。

これに対して雑用を真剣にやって成功したと言う人は、自ら山を高くしているに等しい。神経症を治すイロハは、最初の高揚感をなくすことから始まる。



ホームページへ