雑用解禁を考えています


無為療法の原点は、治療法の完全停止と雑用である。今から32年前のある日に30年間続けて来た森田療法を完全に止め、掃除洗濯をメインとする雑用中心の生活へ斎藤は切り替えて以来人間が変わってしまったのです。しかしどれ程私が原則を主張しても、療法の停止が実行できない、雑用が出来ないと言う人が多く、私としても妥協せざるを得なかった。

最近無為療法の二本柱の一つであった雑用をひっこめてしまったのは、雑用が時に体を硬直させてしまう副作用があったからです。神経症の強迫観念とは意識を強迫観念に集中しろと言う命令ですから、動くことを極端に嫌う。しかし強迫観念の命令のままに体を停止したら、生活は停止してしまいこれは最悪な結果になるのです。

斎藤が神経症脱出に成功したのは雑用のおかげがあったわけで、職業は運転手、ほとんどの時間は車の運転と配達で、神経症を治す環境としては最高であった。もしこれがネクタイを締めて事務所で働いていたら地獄であり、治るどころか今頃は精神病院に入っていたに違いない。

神経症者では日常強迫観念の嵐が酷く、生活が大変困難になっています。これではいかんといくら戦いを挑んでも、勝てる神経症者はいない。

歴史を振り返ると、ベトナムがアメリカに勝ち、アフガニスタンでアフガン人とタリバンがロシアとアメリカを追い出している。正面から戦っても勝てない相手には、非対称戦が有効なのが明らかです。

神経症も強迫観念と言う強大な相手に正面から戦っても勝てない。この場合、観念に対する観念の闘いを止めて、体を動かすと言う敵の力を脇にそらす作戦に切り替えると奇跡が起きます。試しにどんなに激しい強迫観念でも体を動かしている限り、その力で吹き飛ばされることはない。

問題は、強迫観念が動こうとする神経症者の意思を全力で阻止することで、これには神経症者も勝てない。これでもかこれでもかと言う深刻な疑問を出してきて、神経症者の足元を崩してしまうからです。

以前ある神経症者に立ち上がって雑用をしろと言ったら「また動くのか」と大きくため息をついた。神経症者に取って動くとはこれほど苦痛なのです。しかし、ここで強迫観念の言われるままに考え始めたらもう人生は終わりになる。

もう一つ厄介なのは、神経症を治す目的とは言え人前で不自然に動くのは誰でも恥ずかしい。しかし一人で生活しているならできるし、家族がいる場合はその理由を説明して協力してもらったらよい。

こうして強迫観念があるにも関わらず動き続けていると、あれほど動きを否定してきた強迫観念がいつの間にか勢力を落としているのに気付きます。こうなったらもう神経症は半分卒業であり、斎藤のアドバイスなど聞く必要もない。自分の体が何をすべきか示すようになります。



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