雑用の会

雑用の会とは

雑用の会とは、無為療法の基本である、治す手段の模索の完全停止と、動き即ち雑用を忠実に実行する会です。雑用の会メンバーは、必ずしも今、神経症を完全に解決している必要はないが、将来”神経症”が死語になる時が来ると期待される人たちです。

神経症とは単なる人生の問題ではなく、人生を破壊する病気で、我々の脳の構造が危うい構造に出来ているために起きていると考えます。それ故、5年、10年、そして20年かけて脳を安定化する長期の取組が必要になります。

メンバーの特徴
  • 雑用と動きを重要視する。
  • 神経症者と意見が合わない。
  • 神経症者との会話を好まない。
  • 人に人生相談的指導をしない。
  • 療法談義をしない。
  • 発言が穏当で常識にあふれている。
  • 全ての療法を否定する。
  • 学歴、地位を自他ともに言わない。
  • 屁理屈を嫌う。
  • 禅の悟りが分かる。
  • 「無」を言葉で説明することを拒否する。
  • 現在は完璧でなくても、何れ将来治癒が達成できると楽観している。
何故雑用の会のメンバーは、神経症者との語らいを嫌うか。
神経症とは過剰な意識で振り回される病気です。神経症が治るとは、その過剰な意識が静まり、日常意識することなく生きることを意味します。健康な人は、日常の大半の活動を無意識の状態で行うから、そこに言葉がない。言葉のない世界で生きている者が、始終言葉を探し求めている神経症者に会うと、不愉快を感じるわけです。

健康世界では、意識と無意識のバランスが絶妙に保たれていて、人は普通無意識の有難さが分からない。無意識の有難さに気づくとは、禅で言えば悟りを得る瞬間であり、神経症者では神経症が治る瞬間です。では、神経症が治った者が、神経症者に神経症が治る瞬間を説明できるだろうか。それはできない。何故なら説明すべき無意識が、捉えどころのないものだからです。

この難しい無意識を体験させるために、禅では禅問答と言う珍妙な手段を考え付いた。一般大衆には意味不明であるが、神経症が治った者には分かる。
無為療法でも、禅問答に類似した課題を彼らに課す。即ち、”立ち上がり黙って雑用をせよ”と命令する。これを拒否し、解釈を要求するのが神経症者であり、神経症が治った者は理由を問わず直ぐ開始する。



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