無為療法 禅の講義


鈴木大拙「禅仏教入門」から
僧が趙州に尋ねた。
「一物も持たずして私が貴僧のところへ来ましたら、和尚はなんて言われる」
趙州は答えた。
「そんなものは、大地へ放り出してしまえ」
僧は反論した。
「一物も持たぬと言ったのに、何を放り出せばよいのです」
「それなら、持ち帰るがよい」と趙州は応じた。

禅が目指す地点にまで達するには、「一物も持たぬ」と言う観念すら掃き捨ててしまわねばならぬ。仏は仏に固執することがなくなったとき、おのずから顕現するものである。すなわち、仏のために仏は捨て去らねばならない。これのみが禅の心理を把握できる道である。無とか絶対とかを語っている限りは、禅から遠ざかること幾千里、いな、刻々禅から離れ去っているのだ。
神経症者の文を読んでいると屁理屈が多い。一物も持たぬと言いながら、色んなものを携えている。何も持ってないなら、持ってないと表現することが余計なのである。冷蔵庫は空っぽだし、洗濯物が出しっぱなしなのに、グズグズ言いながらなかなか立ち上がらない。目を見るとうつろな目をしている。これが神経症の実態である。



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