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鈴木大拙「禅仏教入門」から 禅は絶対の自由を求め、神からの自由さえも求める。「無所住」とはまさにこの謂いでなければならぬ。「仏と語っただけでも、口を濯いでおけ」と言われるのも、これと同じ意である。神経症者の中には、とうとうと仏教を語る者がいるが、私はこれを健康でないと言う。仏教の分析は神経症の治りからはほど遠いからである。 「仏と語っただけでも、口を濯いでおけ」とは、仏を言うだけで神経症脱却は失敗と言う意味だ。同じく雑用からも自由であるべきであり、雑用を言う必要もない。 但しわれわれは神経症と言うハンデを負っているから、時々自分が停止しているかどうか確認して、停止しているようなら敢えて立ち上がるべきである。 ホームページへ |