無為療法 禅の講義


鈴木大拙「禅仏教入門」から
悟りとは、あらかじめ悟っていない者に対しては、分別または分析的方法でもってしては伝達され得ない経験の謂いである。もし悟りが、分析に左右されうるものとしたら、すなわち、分析を加えることによっていまだ悟らぬ者にもこれを完全に伝えうるものだとしたら、その悟りは悟りではないのである。悟りが概念となったとき、それは死物である。もはやそこには禅経験が失われている。したがって禅においては、他人の訓育といっても、われわれにできうることは単に示唆を与えること、すなわち暗示してやること、弟子の注意が目標に向かって行くように、その道を示してやることでしかない。
神経症の治りとは神経症が治ってない者に対しては、分別または分析的方法では伝達できない。従って分別を説き、分析的方法で説明する怪しいホームページは総て嘘であり、神経症が治ってない人の妄想なのです。
分析を加えることによって、神経症者に伝えうるものだとしたら、その治りは治りではない。治りが概念となったとき、それは死物なのです。従って斎藤が出来ることは示唆することでしかない。

敢えて脳からこれを説明すれば、神経症の治りとは無意識が活発に作動している状態であるから、ジェット旅客機ならコンピューターによる自動操縦の状態です。治りを概念化するとは意識でかみくだく行為であり、自動操縦から自分の手による操縦に切り替える行為であって、これは神経症に戻ってしまっている。


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