無為療法 禅の講義


鈴木大拙「禅仏教入門」から
禅は、神や魂に言及することはない。無限とか、死後の再生を談ずることもない。 だが、このありふれた一つの鋤(身の回りにあるごくつまらない代物)を扱うとき、そのことによって、われわれが人生で遭遇する秘密の一切が開顕されるのである。
神経症者は療法の比較論議に忙しい。何をする、何をしたではなくて、斎藤療法が正しいか、いや森田療法が正しいかの論議だ。健康世界では、斎藤療法も、森田療法もどうでも良いのであって、今、目の前の鋤を使って作業に忙しい。別に彼らは悟りを得るために鋤の作業をしているわけではなく、その作業が生活のすべてであると心得ているだけだ。

禅では、人々は煩悩、不安、病苦からの解脱を目指して修行をする。その夢を実現したいが、どうしたらそれが得られるかを修行僧が禅匠に聞くと、それは目の前の鋤にあると禅匠は回答する。

同じように、神経症者に対して直ちに雑用を開始しなさいと言うと、神経症者の多くは途方もない顔をして何処かに消えていく。しかし、神経症が治る者はすぐ雑用を開始する。彼等は、雑用をしたから治ったとか、生活が楽になったとか決して言わない。単に1行か2行、元気に雑用をしていますと書き込むだけである。



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