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鈴木大拙「禅仏教入門」から 空手にして私は行ったのに、鋤がわが手にあった。この偈(げ)が鈴木の禅仏教入門の中で最も印象に残るものであった。あまりに突拍子なく一体何だろうと。しかし、よく読んでみると実は私に起きていたのだ。 今から30年も前のある晩に、もうこんりんざい神経症を治す努力はしない、森田療法の本は絶対読まないと決意して5年も経った頃だろうか、対人恐怖、異性恐怖の治療願望は頭の中から消えていた。 すると、人に会った時の会話は意識せずして既に終わっていたし、女性との会話でも成功したの喜びは意味を失っていた。鋤を求めている最中は永遠に手に入らなかった鋤が、手放した瞬間に既に自分の手の中にあったわけです。 ホームページへ |