無為療法 禅の講義


「道元」松原泰道著から  
身心脱落と言うさとりの表現は、如浄ではなく道元に始まるという説もあります。如浄は心塵脱落と言っており身心脱落とは言っていない。道元の聞き違いか、あえて身心脱落に変えたのかが争点です。心塵脱落はわが国の古い道歌にあるように、
  • 掃けば散り、払えばまたも塵つもる人の心も庭の落ち葉も
ときわめて倫理的です。
道元は、如浄の心塵脱落を意図的に身心脱落へ変えた形跡がある。倫理的表現からより悟りの表現に近づけたわけです。本来仏教も禅も人に倫理を説く宗教ではなく、自分と世界が一体になるよう指導する宗教で、チベット仏教の指導者のダライラマも、仏教は科学とはっきり言っているほどです。

無為療法も神経症と言う脳のトラブルを解決する科学ゆえ、倫理的指導をしない。従来の問題は、神経症を努力の不足とした事です。病気を治す基本は、より負担を軽減し自然治癒力の出現を待つです。

無為療法では、雑用により無意識を活性化してもらい身心脱落を経験する。ただし、それだけでは悪い癖に戻るから意図的に雑用を継続する。こうして健康世界に入ると、さわやかな気持ちで過ごすようになります。



ホームページへ