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「道元」松原泰道著から 道元の悟った身心脱落は「私たちの身心は本来、脱落の状態にあって何物にもとらわれない様相にある」という事実を悟ったのです。そして、本来の身心脱落の様相が只管打坐(しかんたざ)の座禅の姿である、と言うのです。ここに「参禅は身心脱落なり。焼香を用いず。只管に打坐して始て得ん」との如浄禅がそっくりそのまま道元の体験を通じて道元に継承され、やがて道元禅が創造されて行くのです。注:如浄は中国人であり道元の師匠でもある。如浄は焼香も経文も読む必要がない。ただ座禅をする事が全てであり、身心は脱落すると述べている。 上の文を無為療法に置き換えると 健康な人は身心脱落の状態にあり、何物にもとらわれない様相にある。我々は本来、身心は脱落していてそこでは只管雑用、 ただ雑用をしている。私は禅には興味が無かったが、何か無為療法と禅に共通するものがあると感じ、改めて禅の書を読むと、神経症の治りと禅の悟りは一致していた。 ここで注意するべきは、われわれは神経症に悩む患者であり、道を求めて禅を組む修行僧ではない。故に神経症を治すために座禅を組んでも神経症は治らない。 ホームページへ |