無為療法 禅の講義

「道元」松原泰道著から
仏性という絶対的な英知を体験するには、どうしても論理的、合理的発想をこえなければなりません。そのための命題が公案ですから、公案はすべて非合理的の内容をもっています。それを合理的に解釈しようとしても歯の立つわけがありません。座禅して公案と一体となろうとする方法が看話禅です。

現代の禅界は只管打坐(しかんたざ)の黙照禅と公案を体で思索する看話禅に大別され、前者が曹洞宗で、後者が臨済宗です。黙照禅の系譜は、中国の天童如浄から日本の道元へ、看話禅は中国の臨済義玄からわが国の栄西へとなります。

神経症の解決とは、禅の修行僧が公案を与えられてそれに解答を出す作業に似ている。仏性という絶対的な英知を体験するには論理的、合理的発想をこえなければならないように、神経症と言う精神の異常には論理的、合理的発想は役にたたない。そこで雑用をして体を動かして公案(どうしたら神経症が治るか)に解答を出そうとするのが無為療法です。

無為療法は、ただ雑用をするだけで言葉を交わさないから、只管打坐(しかんたざ)の黙照禅にあたり、公案を解く看話禅ではない。斎藤は神経症者の相談には乗らないし、神経症者の症状説明にも取り合わない。

無為療法は、一切の屁理屈を排して単に目の前の雑用を開始することにより、絶対的な英知を引き出すのです。道元禅の座禅と同じく、ただやる雑用であるから、只管打雑用と言うべきであろう。



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