無為療法 禅の講義


鈴木大拙「禅仏教入門」から
禅が強調したい点がもしあるとすれば、それは自由を獲得することに他ならない。すなわち、あらゆる不自然な束縛から自由になることである。瞑想とは一種の人工的な強制であり、本来の精神活動に属するものではない。

空の鳥は何を瞑想するであろうか。水に泳ぐ魚は何を瞑想するのか。飛び、泳ぐだけである。それで十分ではないか。誰人が神と人間との合一にあるいはこの人生のむなしさに心を固着したいと望むだろうか。

日常生活の営みのなかで次々とあらわれてくる感情の流れを、神の善とか地獄の永劫の炎とかに関する瞑想によって中断させたいと、いったい誰が望むだろうか。
私が鈴木大拙を取り上げるのは、彼の禅の境地に本物を見るからです。他の禅匠では人生相談に陥りやすいがそれがない。神経症の解決、禅の悟りは合理の正反対で、鈴木大拙でさえ繰り返し読んではいけないのです。大拙を読んだらさっと引き上げて、体を動かす動作を始めましょう。



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