無為療法 禅の講義


ナチュラル公案とギブン公案 

宇佐先生は公案にはナチュラル公案とギブン公案があると言う。
神経症者は自然発生した強迫観念と言う公案と格闘していて、これをナチュラル公案と言うのに対して、臨済宗の修行僧は禅匠から公案が与えられるからギブン公案と言う。一方は神経症と言う心の病で他方は宗教であるのに両者は驚くほど似ている。修行僧も公案を解こうと必死になり、神経症のような状態になると言う。

斎藤は奇跡的にもこの神経症公案を70%程解いたが、解いてみると今から800年も前の道元の主張に一致していた。

禅は仏教の一種ですが、科学的側面を持っていて、チベット仏教の総本山であるダライラマも机の横に脳のプラモデルを置いているほどです。それなら神経症も座禅をしたらと考えそうですが、神経症は座禅では治らない。

神経症は雑用でしか治らないのです。雑用をただやる時に神経症の外側に出る。座禅と同様、神経症を治すための雑用になってはならない。

神経症が治ると禅への理解が深まり、下手な禅匠の説教にはあくびが出る。神経症の治りも禅の悟りも、人生論とは似ても似つかない存在なのです。



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