無為療法 禅の講義


鈴木大拙「禅仏教入門」から
「真の知恵はあらゆる表現手段を超越したものである。
そもそもの初めから、悟り得るということなど存在しないのだ」
真の知恵とはこの場合、神経症を脱出する手段です。この手段を丁寧に細かく表現することはできない。なぜなら大拙が言うとおり、表現を超越しているからです。
では、なぜ表現を超越しているのかと言うと、脳という判断の中枢がたった一つだからだ。こうこう、こうして自分の神経症回路が変化するのだと見届けるその脳が、神経症脳だからです。もし自分にもう一つの脳があり、その脳が神経症脳の変化を見届けようとするなら可能かも知れない。

例えば、恐怖の対象に自分が今遭遇したとしよう。それを客観視しようとしても、自分が一人であり脳が一つなら、客観視しようがない。それを客観視すれば恐怖を超越できると考えて無理な努力をしているのが神経症です。ここの所の心理状態を長々と説明するのが森田療法で、斎藤はそれを最も嫌う。

そんな説明を反芻しながら6畳の部屋にじっと座っているのが見苦しい。大拙が言うように、悟り得るということなど存在しないのだから、直ぐ立ち上がって家族とともに雑用をすべきだろう。その過程で、表現手段を超越したものを体験できるかも知れないし、出来ないかも知れない。
しかし神経症者の大半はその超越したものを先によこすか、あるいは、確実に得られるのを保証をしなければ、自分は立ち上がらないと言い張るように、今日もじっと考え続けている



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