無為療法 禅の講義


宇佐先生の三聖院には「不慕千聖 不重己霊」と彫られた彫り物がかかっている。その意味する所は
千人の聖人が持っている高い心境も慕わず、自分が得たと言う心境も重視しない
です。森田療法を信奉している人にはこの意味が理解出来ないと思う。何故なら千人の聖人が持っている高い心境(森田の心境)を慕っているからです。

宇佐先生の「とらわれからの解脱」を読むとその169ページに 
何等かの理論を使って雑念や不安を取り除こうとするのは間違いであり、宇佐先生はその理論に森田理論まで含めている。つまり森田理論でさえ自分に向けて使うと病感を増して神経症は悪化する。実は宇佐道場は森田理論を勉強する学校でもなければ塾でもない。創立者の玄雄先生が禅僧であり、”不立文字”を掲げる禅寺に似通ったものと言うほかない。
宇佐先生は森田療法の中では異色で、森田療法の中にあって森田療法を否定している。この数行、特に「森田理論でさえ自分に向けて使うと病感を増して神経症は悪化する」を読んで斎藤は人生の一大転換を迎えた。48歳のある日の日中に本屋の立ち読みで閃き、買って帰り翌日の朝から別人になった。

最初の言葉に戻ると、これは禅の基本で、あらゆる先人の名言を排し、自分が悟ったと言う傲慢を捨て単に座禅をする。只管打坐(しかんたざ)であり、身心脱落であり、不立文字です。ただひたすら座禅をし、身も心も脱落させ、文字では表現できない世界に自分を置く事を意味する。

斎藤療法も一切の神経症関連の情報を処分し、雑用に徹する事を求める。雑用は決して神経症を治すものでなく、雑用の為の雑用でないとならない。斎藤療法では「仏に会って仏を殺せ」と言う。だからこのホームページを読んで理解する内は神経症の解決はあり得なく、このホームページを読むのを停止し、雑用を開始しないとならない。



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