無為療法 禅の講義

宇佐先生のとらわれからの解脱より

明治15年に生まれて早稲田大学を中退して全国に放浪の旅に出た異色の俳人である山頭火の俳句を引用する。
「こころむなしくあらうみのよせてはかえし」
「ぬいてもぬいてもくさの執着をぬく」
山頭火が大学を中退したのは当時で言う神経衰弱であった。上の2作にも神経症の雰囲気が出ている。彼は酒が好きで生活が乱れていた。その後全国を虚無僧姿で流転するのであるが、最後まで神経症は解決しなかったと見える。その証拠が上の作品である。

それに比べて芭蕉の作品は
「荒海や佐渡に横たふ天の川」
と健康そのものだ。夜の浜に立ち、打ち寄せる波と満天の空に輝く天の川を一杯に表現している。健康な人はこのように心は自分の外に向かっているのに対して、神経症では山頭火のように、よせてはかえす荒海を見ながら心空しく自分の神経症を考えている。



斎藤の現在の心境は芭蕉のそれと同じで、新潟の浜に立ち圧倒的な自然に心が打たれ、対人恐怖は忘れている。しかし、神経症者はぬいてもぬいてもくさの執着をぬき、対人恐怖が治らなければ意味がないと迫る。

最も神経症者には責任がない。彼らを強迫状態にしているのは脳の暴走であるからだ。その欠陥がありながらも、斎藤は健康な人と同じに生きている。理由は治療法の探索を完全停止して体を動かしている事に尽きる。



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