鬱の新しい理論 4

偽薬効果を検証するため、カーシュは38本の今まで行われた試験結果を検証した。これらには抗鬱剤を使った場合、 偽薬を使った場合、治療行為をしなかった場合の結果が示されていて、それを統計的手段で判定した。
その結果、2つの驚くべき事実が出てきた。何と抗鬱効果の75%は偽薬効果であったのだ。カーシュ等が、さらに一般に公表されていない試験データ(食品薬品局から情報公開法を頼りに得る)を手に入れて統計を取り直したところ、 偽薬効果は82%に上昇した。その意味は、うどん粉ピルを飲んでも5人に4人は効果があるということになる。カーシュは、製薬会社が効果があった試験結果だけ公表し、抗鬱剤を誇大宣伝しているのではないかと疑った。

しかし、非公表にされたのは治療成績が良くなかったと言うより、試験の質そのものが芳しくなかったためかも知れない。患者のサンプルの仕方が良くなかったとか、人数が少なすぎたとかの理由だ。あるいは症状の軽い患者を重症の患者、あるいは強迫行為の患者と一緒にしたため公表を避けた可能性もある。

2010年、カーシュが調べた6つの抗鬱剤テストについてもう一度検証が行われた。その結果、カーシュの結論はおおむね正しいが、全部ではなかった。確かに鬱の軽い人では抗鬱効果はなかったが、症状が重い人では薬の効果は劇的であった。
アンドリュー・ソロモンは「薬のおかげで手からすり抜けていくような無力感は消失した。鬱の反対側とは生き生きしたものであって、幸せとは違う」と言っている。激しい落ち込みは次第にぼんやりして、未だ悲しみが襲ってくるが、今までのような破壊的性質は消失している。

以上、多くの研究から次の結論に到達する。
  • 重度の鬱では抗鬱剤によく反応するが、中程度以下の軽い症状では、抗鬱剤は効果がない。
  • セロトニンに反応した人ではセロトニンは重要な働きをしている。なぜならセロトニンのレベルを下げると症状が再発したからだ。
  • 鬱病は脳のセロトニン・バランスの欠陥で起きていると説明するのは、あまりに単純すぎて、もはや成り立たない。
科学の世界では、大発見は多くの場合予想もしなかった方向から出てくることが多い。1980年代の後半に、フレッド・ゲージと言う神経科学者が、大人の脳では神経細胞が生産されていないのか疑問を持った。その頃の神経生物学の定義によれば、成人の脳では神経細胞の生産は停止しているとするのが常識であった。即ち、子供の頃に一度神経細胞の回路が形成されると、この回路は不変であるとする。なるほど、もし新しい細胞が常時形成されて古い細胞に取って代わったら、記憶は保持できなくなるかも知れない。しかしケージが研究を進めると、大人のねずみ、大人の人間の脳でも新しい神経細胞が生まれているのを発見した。神経細胞の再生は2つの箇所だけで、嗅球(嗅覚情報処理に関わる組織)と海馬(記憶と感情に関わる組織)であった。
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